心理学者 原口鶴子の青春  100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと 本文へジャンプ
概要&物語

概要

 この作品は、女性心理学者、原口鶴子の一生をたどったドキュメントです。鶴子は日本女子大学校を卒業後、1907年、単身ニューヨークへ渡り、コロンビア大学大学院で日本女性初の心理学博士号を受けました。が帰国してこれからという志半ばの29歳でこの世を去りました。

彼女が残した精神疲労の研究(博士号テーマ)、国際性、自立の精神、新しい夫婦像は、その後、日本で起こった女権運動に影響を与えましたが、時代の流れとともにいつしか忘れ去られました。監督が、偶然、原口鶴子の孫にあたる女性と知り合りあったことから存在を知り、先駆的女性の生き方に感銘を受け、彼女の生涯を歴史の狭間に埋もれさせたくないという強い意志のもと、一人でビデオカメラをもってニューヨークで撮影を始めたことから製作が始まりました。

鶴子は帰国後、死を迎えるまで前向きに活動を続け『楽しき思い出』という留学記を書きました。鋭い観察眼と自己実現に燃えるみずみずしい感性で、100年前の留学の様子を細かく記述しています。

 原口鶴子の長女、倉西早百合さんと夫の倉西正武氏(コロンビア大学名誉教授)及びご家族の皆様の協力を受け、『楽しき思い出』に書かれたニューヨークでの足跡を克明に追い、今はもう実存しない100年前の原口鶴子のパーソナリティと懐かしきニューヨークをくっきりとスクリーン上に再現させています。

製作は(有)テス企画。1992年創業以来、女性のためのドキュメントや教育、情報ビデオ・映画を地道に手がけてきた会社です。

監督は100本以上の官公庁、企業のPRビデオの脚本、演出の実績をもち、自らも50歳でニューヨーク大学映画学科に留学の経験を持つ泉悦子。NYと日本女性をテーマにした自主製作『ニューヨークで暮らしています 彼女たちがここにいる理由』に続く第二作目の作品です。



原口鶴子(撮影日時不明20代前半)



 「楽しき思い出」オリジナル      

物語

原口鶴子は1886年、群馬県富岡市一ノ宮で生まれた。子どもの頃から利発で運動神経に富み、度胸の据わった少女であったという。

実家は祖父の代から大きな生糸雑貨問屋を営んでいた。国営の製糸産業を荷なう国際都市、富岡市。豊かな財力、娘の能力と可能性を信じる父親、女子教育に熱心な先生方との運命的な出会い…「キチガイ(資料原文のまま)を治す人になりたい」という子どもの頃からの夢をかなえるために、日本女子大学校英文学部を卒業すると、鶴子はまだ女性にとって未分野であった心理学を学ぶためにコロンビア大学への留学を決意する。

アメリカ心理学の基礎を築いたキャテル、ソーンダイク、ウッドワースに直接教えを受け、日本人女性を代表して留学しているという使命感に燃え、寝る間も惜しんで英語、独語の専門書を読破、入学3ヶ月目にして心理学の3科目の試験を極めて優秀な成績でパス。担当教授のソーンダイク博士からまれにみる有能な女性心理学研究者と評価された

5年後、日本女性初の心理学博士号を取得、同じ日に後の早稲田大学教授、原口竹次郎と結婚した。

 女子寮ホイテャ・ホールでの心躍る日々、クラスメートでメトロポリタンオペラの歌手、マダム・パウルとの交友、大富豪ガーレー家での1年間のホームステイなど、さまざまな楽しい思い出を胸に帰国。これからという時に病に倒れる。しかし、二児を生み、夫の助けを受けながら、研究、執筆、講演と前向きに活動をつづけるのであった。


書斎で(1914) 

                      
                   留学前年、友人と日本女子大のキャンパスで(中央 1906)

原口鶴子のフィルモグラフィー

1886年(明治19年) 6月18日 群馬県北甘楽郡一ノ宮町に生まれる.本名つる

1891年(明治24年) 4月 抜鉾尋常小学校入学(推定)

1895年(明治28年) 一ノ宮尋常高等小学校高等科入学

1899年(明治32年) 同小学校卒業.群馬県高等女学校入学

1900年(明治33年) 同校本科3年進級

1901年(明治34年) 同校本科4年進級

1902年(明治35年) 同校卒業(第一回生).日本女子大学校英文予科2年に編入

1903年(明治36年) 同大学校英文予科修業.同大学校英文学部へ進学

1906年(明治39年) 同大学校英文学部卒業(第3回生)

1907年(明治40年) 心理学研究のためコロンビア大学大学院留学

1910年(明治43年) 休学、ニューヨーク州トロイのガーレー家に滞在

1911年(明治44年) 春学期より復学

1912年(明治45年) コロンビア大学大学院卒業、Ph.D.の学位受領

             原口竹次郎と結婚式をあげる

             コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジより学位論文『Mental Fatigue』を刊行
               英国へ新婚旅行を経て、帰国

1913年(大正 2年) 長男精一郎出生
               心理学会で講演

1914年(大正 3年) 日本女子大学校桜楓会で講演(誰にでも出来る児童知能の測り方)、
              『心的作業及び疲労の研究』刊行、

             長女早百合出生

1915年(大正 4年) 『楽しき思い出』刊行

             9月28日、伊豆伊東で死去 

1916年(大正 5年) 翻訳本『天才と遺伝』刊行  

           (荻野いずみ編著『原口鶴子 女性心理学者の先駆』より)



コロンビア大女子寮 Whittier Hall
                                               大学を1年休学して滞在したNY州トロイ市
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