【ダラリン玉ノ井】

それから歩いて泪橋を見に行った。泪橋は、おっちゃんがジョーに「逆に渡るんだ!」と言った橋である。現在は橋はなく明治通りのでかい交差点。そして逆に渡っても南千住駅、コツ通り。私は逆に渡らない。
写真は泪橋に向かう途中にあった「銘酒ホール」だ。
樋口一葉の「にごりえ」とか永井荷風の「墨東綺譚」に登場する銘酒屋は私娼だ。ここは、ホッピーのポスターとか貼ってあって全然お色気がなく、私娼ではないだろう。そうだ、ここから玉ノ井も近いのだった。
だからバスに乗って玉ノ井に行った。
といってもやっぱり玉ノ井という地名はなく東向島というつまらん名前になっている。
作業服の店やはきよい強いカッコいい力王たびの看板などが林立する泪橋バス停からバスに乗って、東向島広小路で下りた。
玉ノ井遊郭は私娼窟。そういうインディーズの女郎屋を「青線」と呼んだという。吉原とか、オフィシャル女郎屋は「赤線」だ。なんで線。東武伊勢崎線や京成押上線とは関係ない。地図を赤い線や青い線で囲んだからだそうだ。今は赤線も青線もないので、遊郭歩きも廃線めぐりということになる。

しかし東向島=玉ノ井。
確かに道が入り組んでて、荷風先生がいう「ラビラント」になってるけど、ただ住宅が並んでるだけ。
小バラが減ったのでコロッケを買い食いする。
しかし玉ノ井。遊郭の「ゆ」の字もないし、うの字もかの字もくの字もない。
ようやく見つけたのは電遊脳場 ダラリンというゲーセンだ。なんだよそのなまえ。
脳場のあげくダラリン。イキもへったくれもありゃしねえ。
んーだけどへったくれって何なんだろう…飲んだくれの屁バージョン?…ボッタクリとも似てるよな…へんちくりんとは違うだろう…でもやっぱ飲んだくれに語源があると…ていうか私なにやってんだろう…クソ暑いのに…久々の休みをつぶして歩き回って見つけたのはダラリンだけかい…。

そのように脳がやや溶け気味になりながら玉ノ井いろは通りを越えて墨田3丁目方面へ入り込む。いろは通りには、古い呉服屋などがあってかなり遊郭っぽい。
墨田3丁目にはもっと遊郭っぽい建物がいくつかあった! あ〜よかった。
写真の家は廃屋だったが、廃墟とまではいえないほどよい廃屋ぶりで、もうしばらくは取り壊されそうにない(「もうすぐ壊します」みたいな張り紙がないため)。あ〜よかった。

遊郭の特徴は「和洋折衷」というか悪趣味だ。普通の家なのに窓だけスペイン風とか、豆タイルで柱を覆ってるとか、なんか気持ち悪い。
こういうのどっかで見たな…と思ったら、目黒雅叙園だった。
こういう建築は昭和20年代の流行だから、荷風が遊んでたころの昭和10年代とは違うはずだ。でも昭和10年代とおぼしき建物は見あたらなかった。
昭和10年代はどうなんだろ? 江戸趣味の荷風のことだから、イキな長屋風だったんだろうネと思うが「どぶの臭気と蚊の声との中に生活する女たち」とか書いてるから、ほんとうは痒くて臭い。痒くて臭いのにイキがってられるのがイキだ。絵、写真、文章や映画では蚊の被害もなくニオイもせず、「イキだよね」などとしたり顔ができる。私はイキじゃないからやっぱり思い出は写真とかでいい。
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