遊撃インターネット雑記26
北のりゆき=死売狂生=行方未知

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2007317日(土)再び北海道展に行く

 『ずん・どう』のラーメンが美味かったので、再び北海道展にいってきました。新宿あたりの北海道展だとけっこう並んだりするんだけど半田舎の北海道展はすいています。土曜なのにどこも並ばないで買えました。まずは函館ラーメンの『ずん・どう』イートインへ。

 食に対してはいささか保守的なオレは前回と同じ塩ラーメンを、チャレンジャーな細君は味噌ラーメンを注文しました。さらにぜいたくにも小ウニ丼を1つ注文。こいつは2人でわけっこすることにしました。

  味噌ラーメン

  小ウニ丼

 ウニ丼は味噌汁を入れるような小さなお椀に入っています。こいつにワサビ醤油をかけて食べました。…まあ普通のウニ丼ですね。閉店間際のスーパーに行って半額になったウニを買ってウニ丼を作ったことがあります。それとたいして違いませんな〜。

 細君が注文した味噌ラーメンは美味かった。いかにも北海道のラーメンという感じです。東京ではあまり味噌ラーメンはないので、いっそう美味く感じました。やはりラーメン屋ではラーメンを食べるのがいいですね。

 

 映画『謀議』を観ました。ナチスがユダヤ人の大虐殺を決定したヴァンゼー会議を映画にしたものです。『十二人の怒れる男』は、陪審員が無実の人を説得により救う話ですがこれはその真逆です。ユダヤ人を労働力として利用したい経済官僚、法による統治にこだわる法律家、唯一まともな感じで良心から反対する政府官僚。こいつらが親衛隊のラインハルト・ハイドリッヒに論破されたり脅迫されたりして次々と屈服し、ホロコーストに賛成していくという筋立てです。ミューラーゲシュタポ長官やアイヒマンなどのSS官僚などもうまく描かれていました。要するに男どもが会議をして言い争っているというだけの映画なのだけど、ナチスの邪悪な格好良さがよく描かれた作品でした。面白かったですよ。

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2007318-19(日-月)ビールが当たる

 仕事をして、空いている時間は赤ちゃんと遊んで…。あまり書くことがありませんなあ。そうそう。細君が応募したビールの試供品が当たりました。なんでも10万人に当たるらしい。キリンビールは太っ腹だねえ。

 

 さっそく飲んでみました。従来のキリンビールの味というよりサッポロっぽい味に感じました。無料だからかもしれないが「美味い」と思いましたよ。100周年記念らしく、かなり気合が入った商品です。

 オレはモノをくれる人が大好きです。その点からもキリンビールはエライ。まあ、もらうばっかりじゃ悪いので、全部飲んじゃったら買ってこようと思いますよ。実際美味かったしね。

 

 寝る前に井沢元彦『逆説の日本史1』を読みました。知ったかぶりの小説家が書いた歴史物語といったところか。作者が学界の定説に挑んでいるような気分でいるのがイタい。でも、ところどころ面白い挿話があって娯楽として楽しむことができます。こんな文章にぶつかると思わず笑っちゃうけどね。

 六〇年安保のリーダーたちはどうなるのか。彼等は、今は亡きソビエトを心の祖国とし、日本に革命を起こそうとしていた。

 ダメすぎるよ…。新左翼と戦前の共産党を混合している…。六〇年安保の新左翼は、堕落したソ連国家を乗り越えることを立脚点のひとつにしており、なかにはスターリン主義打倒まで進んで「反米反ソ」まで行った部分もあるんですよ。一部では常識だし、こんなのはちょっと調べれば分かることだ。「ソビエトを心の祖国とし」だって! 60年安保の時点でそんなのが大衆運動をリードできるわけないだろ。ロクに資料に当たることもせず、日本史と称する本を思い込みで書きなぐるテレビ局の記者あがりの小説家…。

 オレ程度の知識でもあやしいところが目につくからね。ちゃんと歴史を勉強した人が読んだら噴飯ものだろうな。高校生あたりが読んで真に受けちゃったらまずいんじゃないかなあ。面白いといえば面白い本なんだけどね〜。

 ひさしぶりによい電波を見つけました。リンクを張っておきます。

 原爆ドームに女侵入 ブログに「浄化しにいってあげる」

 広島中央署は19日までに、原爆ドーム(広島市中区)に侵入したとして広島市公園条例違反の現行犯で女を逮捕した。女は埼玉県鴻巣市に住む無職(34)と名乗っているという。

 同署の調べでは、この女は17日午後9時45分ごろ、平和記念公園内にあり、立ち入りが禁止されている原爆ドームに許可なく侵入した。現場を警戒していた市職員が見つけ取り押さえた。

 女のインターネットのブログ(日記風サイト)によると、「浄化しにいってあげる」「中に入れるようにしてくれない」など侵入を予告するような書き込みがあり、一般の人が県警と市に連絡、警戒していた。

 女は今年2月、札幌市内の男性歌手のコンサートで警備員に取り押さえられる騒ぎを起こしている。この際もブログに「(男性歌手は)悪魔だ」「私の生活ゴミを漁っている」などと書き込んでいた。

 ブログには「漫画『デスノート』で死神のリュークがリンゴもってたから」との記述もあり、この男性歌手に何かを手渡そうとしたらしい。

この人のブログ↓ 顔出しのうえ自分で住所までばっちり書いてます。ダイジョウブなのかな?
http://blogs.yahoo.co.jp/sinkoko_sinko/archive/2007/3/16

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2007320日(火)アレキサンダーを観る

 ネットをうろついていたら、買い逃した『涼宮ハルヒの憂鬱』長門有希フィギュアの二次受付をやっていました。さっそく注文です。これで三人娘がそろいそうですよ。しかし長門は届くのが8月になるらしい。待たせるなあ…。

 

 レンタルビデオ屋で借りた『アレキサンダー』を観ました。オレは、評判の映画は1年遅れくらいで観ることが多い。映画館だと細君と二人で観ると4000円くらいかかるけど、レンタルビデオだったら200円だもんね。20分の1だよ。1年くらい待つのはなんでもないしね。

 『アレキサンダー』ですが、あんまり面白くなかったー。アレキサンダー大王が、チンピラみたいなんだもん。キャラクターがなにかグチャグチャ言って、アレキサンダーがわめいたり暴れたりして、戦闘シーンになって、再びキャラクターがグチャグチャ言って、再びアレキサンダーが…。これの繰り返しですね。上映時間は170分とちょっとだったかな。長かったなあ…。頑張って最後まで観たけど、くたびれるばかりの映画でした。

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2007321日(水)またまた北海道展に行く

 オレと細君は美味いものには目がありません。そういうわけで、みたび北海道展に行ってきました。まずは『ずん・どう』のラーメンです。オレは味噌ラーメン、細君はしょう油ラーメンを注文しました。味噌ラーメンはピリ辛で甘みも混じり美味。しょう油ラーメンは、田舎っぽい素朴な味わいでした。美味い店はなにを注文しても外れがないねえ。

 今回のお目当ては、小樽のル・タオという店の『ロイヤルモンターニュ』というチョコレートです。とろけるチョコレートに紅茶を混ぜたもので、この前買ってみたら妙に美味い。『ロイヤルモンターニュ』というのは「王家の山」という意味で、それにあやかってピラミット型をしています。でも、エジプトだったら「王家の谷」だよね。店名のル・タオというのも「オタル」をひっくり返しただけだよな。てきとうなネーミングは経営者のセンスかな。まあ、美味いからなんでもいいや。

 630円のチョコを4箱購入しました。それに例によって夜食にいかめしを購入。

 

 細君が携帯をソフトバンクにしたいと言いだしました。親がソフトバンク携帯なので、ホワイトプランで話し放題にしたいらしい。乳離れしない女だのう。それに、「ソフトバンクかあ…」という感じなんだけど、近くのさくらやに行ってみました。ドコモはスカスカだったけど、ソフトバンク携帯のコーナーには人だかりができてましたよ。人気あるんだね〜。でも、登録に90分以上待つらしいので退散しました。安いサービスは、どこかに不自由なところができてしまうよね。…安いからいいんだけどさ。平日の昼間だったら並ばないらしい。こんど時間を作って連れて行くことにしました。

 

 おかしなホームページを見つけました。よくある嫌韓ホームページなんだけど、日本が韓国を植民地にしてやったおかげで韓国は豊かになれたという主張。痛いなあ。でも、面白い写真が多いよ。破いた日の丸の前でニワトリを血祭りにあげる韓国人とかね。ありゃあ呪いをかけてるんですかねえ。

 オレは、「弱者」やら「少数者」やらに屈服し、その迎合の度合いを自己のサヨク性のモノサシにするたぐいの人たちとは係わり合いを持ちたくありません。でも、韓国人は性格が悪いとか狂ってるとかいうのは間違っていると思うよ。日本人と韓国人の仲の悪さは、隣国同士は仲が悪いというだけのことだろう。そりゃオレだって、なにかといえば謝罪やら賠償やらを求めてくる韓国人はつきあいづらい隣人だと思う。日本人が韓国で少数民族として暮らすことになったら、在日朝鮮人なんて比べものにならないほど差別され虐待されるだろう。現に北朝鮮では、日本人妻が収容所送りになったり殺されたりしているじゃないか。でも、他の民族を差別したりケンカを売っても(買っても?)自分を下げるだけでいいことないよね。オレは韓国人とはビジネスライクなつきあいがいいと思うな。

 恵まれない「下層階級」が差別にはしるっていうのは、ひとつのパターンですね。だから差別をするヤツってどこかミジメったらしい。特に品性がね。この人も偏執的執念でいろいろ調べているけど、程度は低いな。挙げようと思えばいくらでも出てくるけど、たとえばこんなところね。

 仮に韓国の国宝など手に入れたところで知名度が低すぎて買い手がつかない骨折り損だと思うのだが……欲しいだろうか?

 オレは欲しいね。この人は高麗青磁や李朝白磁の価値がどれほどのものか知らないらしいぞ。教養がないんだな。そんな程度の人が嫌韓ホームページを作ってみても、痛いだけだ。

 韓国は“なぜ”反日か?HP http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html

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2007322日(木)秋葉原に行く

 仕事の用事で秋葉原に行ってきました。細君も秋葉原近くの病院に行くので、自動車で一家そろって出かけることに。

 平日の昼間だったせいか、秋葉名物のメイドさんはいませんでしたね〜。残念。しかし、無料で配っているマンガ雑誌をゲットしました。ウワサには聞いていたけれど、実物を手に取るのは初めてです。ちょっとながめてみたら手抜きの感じない立派なマンガですよ。エロ本でこのビジネスモデルを使ったら儲かるんじゃないかな。風俗や出会い系から広告料とってさ。おおっ! 有望なビジネスモデルを思いついてしまったぞ。

 

 去年エスカレイヤーのフィギュアを買った際に2000円分のコトブキヤ商品券をもらいました。いつまでも持っていても無くしてしまうのが関の山です。いい機会なので、なにかフィギュアでも買うことにしました。秋葉原駅前のコトブキヤは、フィギュアに関して日本有数の店だろう。でも、いざなにか買おうと思って店を回ると欲しいものがないねえ。食指の動くフィギュアは、たいがいネットで買ってしまっているからなあ。店舗の前に机を出して秋葉名物()のメイドさんやデス・ノートのお菓子を並べているのを見つけ、こいつを購入することにしました。おつりは出ないのでちょっと追加して2400円分もお菓子を購入。けっこう食い応えがありそうです。

  メイドさんづくし…

 安部晋三の防衛省移行記念まんじゅうやらローゼン麻生太郎のセンベイやらも売っていました。秋葉原のオタクってのは保守系なんですかねえ。民主党というのは、組合があるような公務員や上場企業従業員の政党だよね。彼らは一種の特権階級だと思う。これだったらまだ自民党のほうが秋葉原オタクと層が重なるのかもしれないなあ。

 ちょっと時間ができたので、とらの穴やまんだらけを巡回して電波系音楽CDと同人誌などを購入しました。冬コミに行かなかったので、知らない同人誌がけっこうありましたよ。

 

 上の『A LA MODE ノンストップみっくCHU!』は、あべにゅうぷろじぇくとによるパチスロ『快盗ツインエンジェル』の主題歌を収録している強電波CDです。アマゾンなどの一般店では扱っていません。同人誌みたいなものなのかな。こういうものは秋葉原に出ないと買えないよね。もうひとつの『のみこの実』はアマゾンでも購入可能。のみこ嬢の曲は、アニメ『錬金3級まじかる?ぽか〜ん』のエンディングが有名みたいだけど、オレは同人CDの『恋してる空』から入りました。今となっては手に入れにくい同人時代の曲が収録されているのがいいですね。

 診察を終えた細君が、ソフトバンク携帯の契約をしました。最初にヨドバシカメラに行ったけど、えらく高かったそうな。先日さくらやで偵察した端末代の月賦が0円の携帯が、ヨドバシでは2年間も毎月980円払うことになっていたとか。2万円以上高いぞ! 0円と2万円じゃあ大変な違いですよ。オレも前から思っていたけど、ヨドバシカメラって高いよな〜。

 がっかりしてサトウ無線の前を通りかかったら、月賦0円、ホワイトプラン代980円も2ヶ月無料サービス、ネットし放題料金980円も2ヶ月無料、さらに512メガのマイクロSDカードをプレゼントというキャンペーンをやっていました。それを見るなり細君は飛びついたみたいです。そのうえ、友だちに紹介者になってもらっていたので、紹介キャンペーンとやらで5000円ももらえるらしい。ソフトバンクは太っ腹だな。

 端末を見せてもらったけど、200万画素のカメラがついているNEC製の使いやすそうな携帯でしたよ。MP3ファイルを入れると音楽プレイヤーにもなるらしい。時間帯に制限があるとはいえソフトバンク携帯同士は通話料が無料というサービスは、想像以上にいいですね。高額な電話代がかかるというストレスがないことが、こんなにも気分良いとは思わなかった。21時から深夜1時までは有料といっても、その時間はたいてい家にいて携帯なんて使わないしね。それに、ちょっとぐらい窓口のサービスが悪くたって通話できればいいんだ。

 

 帰りがけに新宿に寄り、模索舎で動労千葉のビデオや三里塚のDVDを2点購入。中核派系団体のものみたいだ。まだがんばってるんだなあ。観たら今度感想を書きますね。

 

 

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2007323日(金)大逆のゲリラを読む 

 17日の雑記で紹介した『大逆のゲリラ』(荒岱介)をあらためて読んでしまいました。紹介するために本箱から持ってきてちょっと中をのぞくだけのつもりが、あまりに面白くて一気に読んでしまったのです。

 2002年初版発行で購入と同時に読んだから、この本を読むのは5年ぶりですね。5年前と「面白い」と思ったところがぜんぜん違うのが自分のことながら興味深かったですよ。ゲリラ戦の実際とか、武装闘争とか、どうやって権力の弾圧をくぐりぬけたとか、まあそういう「実録・過激派ゲリラ戦記」みたいなところが5年前には面白かったのです。

 『大逆のゲリラ』の母体となった戦旗派(戦旗・共産同)は、現在は名称を変え共産主義や暴力を放棄して環境NGOに衣がえしました。だからこのような昔のゲリラ闘争を回顧する本を出すことができたのだろう。戦旗派が、皇居とアメリカ大使館に火炎弾を撃ちこんだのは、1986年3月25日のことです。この日のことはかなり鮮明に覚えています。過激な新左翼にかぶれていた当時のオレは、戦旗派のお姉さんから機関紙を買ったりカンパしたりそれに集会にもちょくちょく出ていました。まあ、シンパ(支持者)に近かったわけです。

 なんで中核派や解放派ではなく戦旗派だったのかというと、機動隊に殴られたり留置場に放り込まれるのならまだしも、内ゲバなんかで死んだりケガをしたらバカバカしい。内ゲバをしないで一番武装闘争をしていたのが80年代中ごろの戦旗派だったからです。もちろん革命に人生をかけるような気概はオレにはありません。つらくて苦しいことも大嫌いだ。だから支持して応援するといった程度のかかわりでした。でも、貧乏だったのに機関紙代も含めたらけっこうな額をカンパしたから、火炎弾の羽の1枚くらいはオレのふところから出た資金でつくられたかもしれない。ひそかに自慢に思っていたんですよ。

 オレの過激派上司?(「上級」というらしいが…)だったお姉さんが戦旗派をやめてしまったこともあって、オレは戦旗派から離れました。その後の戦旗派は大変だったようです。一番力を入れていた三里塚闘争から追放されたのが、致命傷だったでしょう。さすがのオレもその報道に接したときには、あれほどまでに闘争につくし現に多数の怪我人や100人以上の逮捕者も出している党派をもう用済みだとばかり弊履のように捨てる農民の皆さんの根性は「ちょっとなあ…」と思いましたよ。いくら正義のため()とはいえ、こんなふうに他人に利用されるのはまっぴらだなあと。

 さらに、社会主義国家群の崩壊もあって首領の荒岱介は、共産主義に疑念を深め、最終的にこれを放棄することを決意します。しかし、多くのゲリラ闘争をたたかい、現にゲリラ容疑の指名手配者をかくまっている党派を総転向させることなど、いくらトップとはいえできるのだろうか。今現在読んで面白かったのはここでした。

 戦旗派の「転向」を非難する人がいます。しかし、ちょっと待ってほしい。そもそも社会主義やら共産主義やらは、「社会がよくなる」とか「人のためになる」という素朴といえば素朴な目的のためにめざしたはずです。その「主義」の無効性や、むしろ害になるいうことが明らかになったのならば、いさぎよくそのような主張は放棄することが誠実な態度だと思う。社会主義や共産主義をめざす党派がなにやら活動することで社会や自分自身をも「悪く」するならば、そんなことはやめたほうがよいということです。いまだに暴力による革命を放棄しない党派があるようですが、思想を経典のように扱って現実から目をそむけるという二重の「転向」を行っているように思えます。「転向」するのが当然の状況で「転向」しないということは、実は二重に「転向」しているということなのでしょう。

 自らの間違いに気づいた時点で、戦旗派は組織を解散するのが一番良かったと思います。しかし、現に組織生活をしている者がいて、30年近い過去もあります。過激派の前歴がある者がバラバラになって社会に戻っても復帰は無理かもしれない。さらに指名手配者の逃亡を時効まで支えなければならない。そこで戦旗派は組織を挙げて環境NGOに衣がえしました。組織が分裂したり暴力沙汰なしによくそんなことができたと感心します。

 戦旗派のゲリラ・パルチザン部隊は、中核派や解放派にくらべてちょっと特殊でした。中核派革命軍は糾察隊から、解放派の革命軍はプロレタリア突撃隊から発展した軍事組織といわれています。両方とも革マル派との死者が続出する内ゲバ戦争の中で生れ、成長した地下軍事組織です。内ゲバとはどのようなものであったのか、『四トロ同窓会二次会』の掲示板に印象的な書き込みがあったので転載させてもらいます。

 で、両党派ともやり合ったあげくにその「拠点」から居なくなりまして。その拠点だった「部屋」が蛻の殻のまま残されていたわけです。我々日和見ノンセクト数名は、その部屋を怖いもの見たさに覗きに行きました。冒険ですわ。

 封鎖されたドアをこじ開け、隙間をくぐり抜けて入ったその部屋。壁一面に、対立党派を「殲滅宣言」するスローガンが殴り書きされた、狭いその部屋の光景。今でも、決して忘れることができない光景がありました。

 部屋の中央に、可愛い動物のぬいぐるみがありました。そのぬいぐるみの腹には、対立党派の名前がマジックで書いてありまして。その腹に向けて、突き刺さっていたのです。

 ナ イ フ が。

 可愛そうに、そのぬいぐるみの「傷」からは、中から詰めものがあふれ、その部分だけダイエットしたかのように、へこんでいました。夕陽がそのぬいぐるみを脇から照らし、ナイフを刺されたままの「彼」のオレンジ色の残像は、まるで、前衛芸術のオブジェのようでした。

 我々は声もなく、数分もの間、鬼気迫るその部屋に沈黙したまま立ちつくしていました。動くことができなかったのです。そして無言のまま部屋を立ち去り、無言のまま帰宅しました。

 http://redmole.jp/log/2006/2006-12d.html

 ゲリラ・パルチザン部隊には、殺人にまで及んでしまった内ゲバの歴史は(公式には)なく、また完全な地下組織ではない半地下組織でした。シンパ時代には、この半地下組織というのがよく分からなかったのですが、『大逆のゲリラ』を読んでようやく理解できました。

 公然部分から分離し、同じように地下にもぐった指導部とのみ連絡し、上から下ろされた資金を得て軍事活動を行うというのが地下軍事組織です。これはテロやゲリラには向いた組織ですが、大きな欠点があります。公然部分から切断されているため、組織員が現実感覚を失い思考が軍事化してしまいます。もっと簡単にいえば、メンバーが浮世離れして常識を失ってしまうのです。もうひとつ、軍事活動に専念する地下組織は、しばしば金銭面で腐敗するようです。

 戦旗派のゲリラ・パルチザン部隊は、地下軍事組織ではありません。電気や機械などの特殊技能を持った者を集め、メンバーは公然組織からは離れるものの地下に潜ることなく技能を生かして働き、自らゲリラ資金をかせぎました。毛沢東流の自力更生を目指したのだそうです。これが戦旗派のゲリラは半地下組織といわれるゆえんなのでしょう。自分で汗水たらしてかせいだ資金でゲリラをやるのだから、金銭面で腐敗する余地はなさそうです。また、資金かせぎの仕事で実社会との接点があるため、思考が浮世離れしてしまうこともなかったようです。

 革命軍のような地下軍事組織といえども、指導部との連絡があります。権力が、公然部分を徹底的にたたいて連絡線をつかむか資金の流れを洗えば、地下軍事組織にたどりつける可能性があります。しかし、ゲリラ・パルチザン部隊のような組織では難しいでしょう。ゲリラ部隊に加入したとおぼしい者をピックアップしてアパートローラーで住居を探り当てるくらいしか、組織をあぶりだす方法はなさそうです。戦旗派は、指名手配された2人を時効まで逃がしきることに成功しました。おそらくゲリラ・パルチザン部隊の組織論が功を奏したように思えます。

 ゲリラ組織だけではありません。公然部分も逮捕者が出るような実力闘争を平気で行う過激な人たちです。水面下ではいろいろあったのかもしれませんが、それをたいした暴力沙汰なしに穏健で合法的な運動に転換させたこと。これはリーダーの荒岱介の偉業といってもよいと思います。

 連合赤軍事件などが典型ですが、左翼は内部に敵を求める傾向が強くいやらしく感じます。戦旗派も非合法活動に手を染めていた過激派セクトの出身ですから、もともとマトモな集団ではありません。NGOになってからもいろいろ問題を起こしたようです。でも、展望のないゲリラにふけったり極左党派でいるよりは、問題があるとはいえNGOであるほうが社会にとってもメンバーにとってもよほど良いでしょう。いろいろ批判はあるようだし、組織だからいやらしいところもあるだろうけど、戦旗派は、まだ内ゲバやリンチといった左翼の陰湿な面からは距離がある気がします。NGOになった戦旗派は、元メンバーで右翼になった人物が集会に押しかけてきたのを殴るなどの「事件」を起こしています。ネットでもずいぶん叩かれていました。でも、これはちょっと内ゲバとは違うような気がしますね。

 戦旗派のゲリラ・パルチザン部隊の記録は、他にアメリカ大使館に火炎弾を撃ちこんだ大空遥氏や大嘗祭の日に皇居前でバキュームうんちをぶちまけた糞尿ゲリラ氏の文章を収録した『ぱるちざん戦記』があります。特に糞尿ゲリラ氏の文章は傑作です。また、荒岱介の自伝『破天荒伝』も60年代から70年代学生運動の記録としてとても興味深いものです。近いうちにあらためて読んでみようと思いました。

   

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2007324日(土)破天荒伝を読む 

 昨日に続いて戦旗派の首領だった荒岱介の自伝『破天荒伝』を読み返しました。いや、この本は面白いですよ。荒岱介氏が活動を始めたのは1965年ごろです。のちに赤軍派を結成する塩見孝也にオルグされて関西ブントに加入します。極左過激派創成期より1世代か2世代下なんですね。荒岱介の書く登場人物は、極左の大物ぞろいです。

 解放派の指導者で革マルに暗殺された中原一、中核派の指導者で革マルに暗殺された本多延嘉、日本赤軍の重信房子、連合赤軍の森恒夫、変わったところでは新右翼の野村秋介と刑務所で一緒になり親しかったようです。特に本多延嘉の記述が興味深かった。

 ああブントにもこういう指導者がいてくれたらなあと思ったものだ。たしかに本多さんは傑出した日本革命の指導者だったのだ。

 10.8闘争や防衛庁闘争など当時の大闘争のブントからみた舞台裏は、だいたい描かれています。しかし、一番面白かったのはブントから赤軍派が分派した以降の退潮期ですね。闘争の高揚期に関する本は数多く出ているけど、分裂や内ゲバといった70年代中ごろから90年代までの退潮期を書いた本はあまりない。

 赤軍派の分派以降、ブントは分裂を繰り返します。どちらかといえばアナーキーな寄り合い所帯だったブントを、中核派や革マルのような組織を持った党として再建しようという方針で、荒岱介は戦旗派を結成します。他ブントからは、ブント革マルと呼ばれずいぶん憎まれたようです。日比谷公園の集会で1日に2回も集団内ゲバをやってますね。鉄パイプや竹ざおで武装した集団ゲバです。最初に赤軍派残党と関西ブントが連合した左派とゲバって、次に右派の叛旗派とのゲバです。戦旗派は鉄マスクまでしてがんばっていますよ。

 『北西風が党を鍛える1』より

 集団ゲバでは勝ったけど、荒岱介が個人テロで襲撃され重傷を負うという事件が起きます。下手人は関西ブントの軍事組織だったらしい。しかも療養中にせっかく再建しかかった戦旗派が分裂してしまいます。ここがこの本の中で一番興味深かったところです。

 その時期、私を中心に命がけの闘争をしてきたはずの戦旗派も、内ゲバのような分裂の兆候を見せはじめていた。当初は病床にあった私に代わって組織を指導していた部分が、軍事組織の見切り発車的な武装闘争を押さえられなかった問題に端を発していた。私は仕方なく、強引に軍事組織を解散させた。第二次ブント末期のRG組織や赤軍派の例にもみられるとおり、武器を待った軍事組織は、つねに軍隊固有の論理で独自化してしまう傾向も持つ。

 私たちの組織の分裂劇の真相は新左翼運動の中でも謎とされている。このあたりは今でも多くを書けない暗闇の部分がある。私は病床にあったのでわからない部分も多い。その当時の人間が墓場まで持っていくべきことなのかもしれない。

 結局、七〇年に組織結集を開始した戦旗派は、七二年の春に四つに分裂してしまったのである。

 「軍事組織の見切り発車的な武装闘争」とか「今でも多くを書けない暗闇の部分がある」とか、なんとなく煮え切らない書きかたですよね。実はこのような事情があったとささやかれています。

 1971年に警察官僚の自宅に小包爆弾が送られ死者がでるという事件が起こりました。犯人としてノンセクトグループが逮捕されましたが、裁判の結果デッチ上げだということが明らかになっています。事件は迷宮入りになっています。この事件は、戦旗派の軍事組織が暴走して行ったのではないかとささやかれています。事件の数ヵ月後に戦旗派は火炎ビン闘争を行い100人以上が逮捕されています。その際に警察に自供した者がいたらしい。すでにノンセクトグループをデッチ上げ逮捕していた警察は、メンツもあって戦旗派に本格的な捜査の手を伸ばしませんでした。しかし権力のそんな事情はセクトには分かりません。爆弾闘争を行い死者まで出したセクトがどれほどの弾圧にみまわれることか…。下部の暴走とはいえ最悪の場合は指導部も死刑です。指導責任や対弾圧で大混乱となったのは容易に想像がつきます。その結果、組織が分裂してしまったのではないだろうか。ネット辞典Wikipediaの共産主義者同盟の項ではこのように書かれています。

 ブント戦旗派の地下軍事組織が爆弾闘争を行い(黒ヘルグループが冤罪で逮捕された事件) 、その総括をめぐって、戦旗荒派と戦旗西田派に分裂する。

 確定した事実のように書いていますが、この件に関しては逮捕者もいなければ実行犯で証言した者もいません。これはあくまでウワサにすぎません。この当時の戦旗派は、赤軍派に反発した部分による組織建設重視路線で内ゲバには熱心でしたがどちらかといえばアンチ武闘派でした。それが爆弾闘争までいってしまうだろうかという気はします。ただ、こういうウワサが出てくるような、よほどのことが分裂の際にあったんだなとは感じます。

 革マルの活動家は、活動をやめても絶対に元革マルだと明かさないと聞いたことがあります。奥さんですら活動をしていた事実を知らないとか。実際ネットで検索してみても、数千人もいる党派なのに元革マルの回想ホームページは皆無です。中核派はもう少しゆるいみたいですが、元活動家が同窓会を開くなどはちょっと考えられません。やはり革共同的というか、陰性の体質が強い気がします。それに対して戦旗派は明るいですね。誰かが言ってましたが「腐ってもブント」なんだろうか。『破天荒伝』は、オレにとって新左翼の退潮期の記録としてとりわけ面白いものでした。

 オレがシンパだったころの戦旗派は、ゲリラをやる組織でした。指導部は半公然状態だったので、オレのような最下っ端が指導者を直接見ることなどなかなかできません。でも、一度だけ荒岱介氏を直接見たことがあります。

 戦旗派が三里塚にやぐらを建て、その完成祝いに集まったことがあります。相撲大会をやったり駆けっこしたりと、武闘派の集会とは思えないような楽しげな集まりでした。たしか地区ごとに勝ちぬき戦をやって、優勝した地区にはワープロが贈られてたっけ。その場に荒氏が来ていました。書斎派ではなく鍛えているようで、相撲で対戦相手を投げ飛ばしたりしていましたよ。なかには家庭を持っている活動家もいて、子供をつれてきていました。皆が遊んでいる周りをブラブラしていた荒氏は、自然に子供たちを引き受けることになっていました。わんぱく坊主たちに木の枝でたたかれ「おまえら、なんてことするんだー」なんて言いながら子供たちと追いかけっこしていたっけなあ。やっぱり戦旗派は明るいですねえ。

 どこかの掲示板に面白い書き込みがありました。戦旗派出身のオタク?

 三里塚開港阻止決戦と同時期に闘われていた雛見沢ダム建設反闘争にもブントは決起すべきであった。ナタやバットで武装した高校生たち。

 いまでも女子高生の「嘘だっ!」という叫びが聞こえてくる。

   

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2007325-26(日-月)赤ちゃんが病気になる

 細君にたたき起こされました。赤ちゃんの具合が悪いらしい。なんでも下痢をしたうえに昨日の夜に食べたさせた離乳食を吐いてしまい、そのあとにやったミルクも何度も吐いたらしい。見てみるとなんだかふにゃっとして元気がありません。熱を測ってみると38度2分。日曜なので役所がやっている休日診療所につれて行くことにしました。

 休日診療所で熱を測ると39度2分に上がっています。医師によると、脱水症状を起こしかけているので、すぐに大病院につれて行くようにとのことです。紹介状を書いてもらいました。

 大病院の救急窓口に担ぎこむとすぐに点滴をするといわれ、手の甲に針を突き刺して点滴です。点滴って意外に時間がかかるんですよ。4時間くらいかかりましたね。ウイルス性の病気だろうとかで、効く薬は無いのだそうだ。念のため熱さましと吐き気止めの座薬をもらい帰宅しました。

 夜中じゅう赤ちゃんが苦しがってヒイヒイと泣きます。熱を測ったら40度を超えていますよ。高熱のせいで三重苦になってしまったヘレン・ケラーを思い出した細君は、すっかりおびえてしまい、熱さましの座薬を使おうとします。医師には、なるべく使わないように言われていたので止めたんだけど、どうしても使うといってききません。尻の穴に熱さまし座薬を突っ込んだら、赤ちゃんはけいれんしたみたいになってさらに大泣きしてしまった。

 細君は、うろうろオロオロしているし、赤ちゃんの泣き声は耳につくしで、ほとんど眠れませんでしたね。朝方に気絶したみたいになって眠ったら、その間に細君が乳母車を使って赤ちゃんを近所の小児科医院につれて行きました。3時間くらい寝たところで再び細君にたたき起こされます。入院させないとだめだといわれ、紹介状をもらったとのこと。赤ちゃんの病室には親も泊まれるんですかね〜。なにも分からないので、とりあえず洗面道具をまとめて紹介してもらった聖マリアンナ病院の分院に行きました。

 聖マリアンナ病院といえば、エロゲー『夜勤病棟』の聖ユリアンナ病院のモデルになったところ。比良坂先生みたいなのがいるかなと思ったけど、すごくきれいで立派な病院です。医師も看護士さんもやたら丁寧で親切でした。病院というと薄暗い古びた校舎みたいのを想像したけど、最近はきれいですねえ。救急病院ではできなかったさまざまな検査をしてもらいました。…5時間くらいかかったけどね。

 その結果、インフルエンザではなくロタウイルスというのに感染しているということが判明しました。

 こんなの…。ワルそうな感じです

 赤ちゃんならだれでもかかるような病気で、めったに死ぬようなことはないらしい。ただし、脱水症状になると命にかかわるので、それで大病院に行かされたようです。まあ、この程度だったら入院することもないだろうといわれ、水分の補給の仕方などをレクチャーされて帰宅しました。

 今回の騒動で2日間つぶれましたよ。あんまり眠れなかったし…。そのせいで雑記が滞ってしまいました。ついていないことは重なるもので、ホームページ作成に使っていたWord98が、上のウイルス写真のあたりを書いたところで壊れてしまった。入れなおしてもダメです。やむえずWord2002をインストールしました。ううう…、使いにくい。Word98は10年近く使っていたソフトだからなあ。わざわざWord2002を抜いてWord98を入れていたんですよ。なんとかWord98を復活させねば。

 雑記27

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