時はバブル経済ちょっと前。なにを考えたかヘルメットをかぶり機動隊と激突した若かりし日の記録。当時の中曽根首相は、なかなかの反動で様々な攻撃を仕掛けてきてくれました。資料がたくさんあるので過激派ゲバ写真やゲリラ声明をアップします。
遊撃インターネットに戻る85年10.20三里塚実力闘争
10.20三里塚実力闘争とは
オレはこの日風邪をひいて参加できなかったんですよ〜
1985年10月20日、成田空港は78年の開港以来の緊張に包まれた。二期工事に反発を強めた空港反対同盟(北原派)が全国集会を招請。呼応した各党派が空港突入を叫び、実に10年ぶりに火炎ビン・鉄パイプを使用した実力闘争に決起したのだ。機動隊は28都道府県からの応援も加え9500人が警備についた。
決起集会には3950人が参加(主催者側発表14900人)。集会後公園をでたデモ隊は、届け出コースを外れ中核派の丸太部隊を先頭に4時20分ごろ機動隊と激突、戦闘状態に入った。衝突に先立って成田駅構内では時限発火装置が発見され、ターミナルビル前でも偽装タクシーが炎上。さらに衝突と同時刻ごろ空港敷地内の管制塔ビルに横付けされた偽装消防車から散弾が撃ち込まれた。この連続ゲリラ闘争には解放派が声明を出した。
衝突は2時間以上にも及び、デモ隊は鉄パイプや火炎ビン、ロケットのような飛び道具で機動隊を攻撃。機動隊も放水や催涙弾で応戦した。機動隊員59名が負傷(重傷9名)、装甲車3台が焼かれた。デモ隊241人が逮捕された。市街地での衝突は79年12月以来。大量逮捕は78年5月の大量逮捕以来初めてといわれる。
この闘争は、翌年に控えた天皇在位60周年記念式典と東京サミットに対する闘争の前哨戦であり、切迫していた国鉄分割民営化攻撃と空港二期工事への反撃戦であった。
写真と記事はそれぞれ、天皇在位60周年記念式典、東京サミット警備記念として警察が発行した記念誌、中核派が発行した『前進1259号』『全学連は主張する』、解放派が発行した『解放370号』『解放371号』から転載させてもらった。