飛行夢 〜出会い 中編
「具合もよさそうだね」
わずかに身体を浮かせて、寝台に深く腰かけ直したジョミーが、改めてシロエの顔をのぞきこみながら言った。
きっと、シロエの表情から見て取った言葉に違いない。
シロエは笑顔のままに大きく頷いて、彼の推測を肯定した。
だが、とあることにふと思い至り、つい顔を曇らせてしまう。
それはほんのかすかな変化だったけれども、ジョミーは敏感に察知したようだった。
途端に訝しげな面持ちとなり、首を傾げて、真摯にシロエの瞳を見つめてくる。
ジョミーの、まるでことの真偽を見透かそうとでもするかのようなまなざしに、シロエは少しだけ居心地の悪さを感じた。
ジョミーがそうと願えば、シロエの思考などいとも簡単に読めるのだと知っているからだろうか。
だが、そんなふうに考えること自体、ジョミーに対して失礼極まりない所作である。
この船では、基本的に、許可なく相手の思考を読むことは禁止されている。
もちろん、有事の際はその限りではないらしいけれども、それはミュウが集団生活を送っていく上で、反してはならない決まりごとだった。
その頂点に立つジョミーが、率先して違反するとも思えない。
「シロエ?」
自らの愚かな考えにかぶりを振ったシロエは、ジョミーの声にはっとした。
散漫としていた意識が、ジョミーの元へと集まってゆく。
そうして気がついてみれば、ジョミーは吐息も感じられそうな距離まで顔を寄せ、シロエの様子を窺っていた。
その翠緑色の瞳に、確かな憂いを見出したシロエは、慌てて言葉を紡いだ。
「ごめんなさい、ぼうっとして。でも、元気なのは本当です。ただ……」
「どうかした?」
未だ信じがたいといった表情のジョミーに、シロエは思わず頬を膨らませながら、いい機会だとばかりに訴える。
「はい。ドクターがまだ、寝てなさいって言うから……僕つまんなくて」
「ああ」
シロエの言葉にようやく納得がいったのか、ジョミーは顔をほころばせた。
シロエの元気な口調にも、安堵したに違いない。
つられて微笑んだシロエに、ジョミーはひとつ頷いた。
不意にシロエの頭に手をやると、くしゃくしゃと優しく髪をかき混ぜる。
まるで子供に対する所作だったけれども、シロエは少しも不快ではなかった。
もちろん、相手がジョミーだからである。
ドクターやリオにこのようなことをされたのなら、シロエは間違いなくその手を振り払っていただろう。
「治りかけの無理が一番よくないからね、大事を取っているんだろう。ドクターの言うことは聞かなければいけないよ」
「……はい」
シロエの言動を諭すような台詞も、ジョミーのものならば素直に聞き入れられる。
シロエが首肯すると、ジョミーはますます笑みを深めた。
いい子だねと言わんばかりに髪を撫で、シロエの頭をぽんぽんと叩くと手を引いた。
去っていくぬくもりに、いくばくかの寂しさを覚えたシロエは、名残惜しげに彼の手がひざの上に落ち着くのを目で追っていた。
「でも……今日はちょっとだけ、僕のお願いを聞いてくれるかな?」
「え?」
ジョミーの仕草に気を取られていたシロエは、瞬間、なにを言われたのか理解できなかった。
悪戯をたくらんでいるような、まるでジョミーらしからぬ口振りも、シロエの困惑に拍車をかけた。
――僕の、お願い?
ジョミーの言葉を胸中で反芻したシロエは、きょとんとしたまなざしを彼へと投げかけた。
では、ジョミーが唐突にシロエの元へとやってきたのは、そのお願いのために違いない。
けれども、ジョミーがシロエにお願いだなんて、いったいなにごとだろうか。
シロエは疑問のままに、首を傾げた。
「僕に、できることですか?」
ジョミーは少しだけ目を細めると、小さく頷いた。
それから、口を開く。
「会わせたい人がね、いるんだ」
「会わせたい――人?」
ジョミーの言いように、シロエはますますわけが分からなくなってしまった。
これまでにも沢山のミュウたちを紹介されてきたが、いつだってなにがしかのついでにそういえばという気楽な雰囲気で、人から人へと取り持たれたばかりである。
こんなふうにして、前もって知らされることなどなかった。
しかも、その役目をミュウの長であるジョミーが担っているのだから尋常ではない。
シロエが未だ知らぬだけで、この船にはジョミーが先触れを務めるような人物が、いるというのだろうか。
けれども、それにしてはジョミーの態度に、かしこまった様子などがみられない。
どこか楽しんでさえいるようである。
ジョミーの取り留めのない言動は、シロエをますます混乱させた。
「シロエの調子がよかったら、ここに来てもらう手筈になっているんだけど――」
そんなシロエの心情を知らぬジョミーは、どうかな? といわんばかりに面を傾けている。
シロエは当惑からくる曖昧な表情でもって答えた。
「もちろん、僕は大丈夫です。でも……」
「じゃあ、早速来てもらおうか。実はさっきから、待ち構えていてね」
途端にぱっと顔を輝かせたジョミーは、勢いよく寝台から立ち上がった。
その、あまりにも嬉しそうな雰囲気に、シロエは言葉を継ぐことができない。
口を噤み、ただぼんやりと、寝台から去ってゆくジョミーの後姿を眺めるばかりだ。
ふわりと舞う真紅のマントが、彼の背後におぼろな影を結んでいる。
ジョミーは、数歩足を進めたところで立ち止まった。
鬱陶しげにマントをかき上げながら振り返ると、どうしてだか困惑をにじませた笑みを浮かべた。
「シロエの様子はどうかってせっつかれて、大変だったよ」
それでようやくシロエにも、ジョミーがふとぼんやりしていた理由が知れた。
ジョミーは、これからシロエが会うであろう人物と、思念で言葉を交わしていたのである。
ドクターの了承が得られず、未だESPを操れないシロエには知る由もなかった。
「そう、ですか」
シロエはかすれた声をしぼり出した。
不意に、自分でもよく分からない感情が胸中を占め、息苦しさを覚える。
酸素を求めて口を開いたが、そういうことではないらしかった。
いくら呼吸を繰り返しても、一向によくならない。
思わず眉を顰めたが、今度はジョミーに気づかれることはなかった。
満面に笑みを浮かべたジョミーは、その人を迎えに行くべく、すでに踵を返していたからだった。
「うん、君に会えるのをすごく楽しみにしていてね。今呼んでくるから」
いつになく浮かれたジョミーの口振りに、シロエは言い知れぬ不安を感じた。
彼を呼び止めるべく口を開きかけたが、遅かった。
シロエの想いが言葉となって現れる前に、ジョミーの姿は室内からかき消えていたのだった。
後編へ