君を呼ぶ声
宿題を教えてもらいたかったから、家に呼んでくれたのはすごく嬉しかった。
オレからはまだなんにも言ってなかったのに、阿部君はきっと、オレのピンチを察してくれたんだなんて、ちょっと浮かれたりもしたくらいだ。
いそいそと支度をして、途中のコンビニでお礼のお菓子とジュースを仕入れて――といっても、いつもほとんどオレが食べちゃうんだけど――、オレは足取りも軽く阿部君の家へと向かった。
でもインターフォンに応じて出てきてくれた阿部君は、明らかに据わった目をしていて。
その視線の恐ろしさにオレは、思わず回れ右をしてそそくさと逃げ出そうとした。
もちろん、どんくさいオレが阿部君の前から逃げられるはずもなく、二歩目の足を踏み出したところで、阿部君に襟首をつかまれてしまったんだけど。
オレは動物の子供みたいに、襟首をつかまれたまま阿部君の部屋に連行された。
その間、阿部君は終始無言だった。オレはもう絶対になんかやらかしちゃったんだ、それで阿部君は怒っているんだってびびりまくっていて、情けないことに涙ぐんでさえいた。
だから阿部君の部屋に押し込まれて後ろからぎゅって抱き締められたとき、オレは心底ほっとした。
だって怒ってる阿部君は、絶対にそんなこと、しないから。
オレはああよかったって、ため息をこぼした。
そしたら耳元で、三橋、って、名前を呼ばれた。
低くて、かすれていて、でもすごく色っぽい、オレと阿部君が友達以上に仲良くするときの、声音だった。
途端にオレはびびびって、下半身から頭までを電流が走ったみたいに感じて。
それから両足に、上手く力を入れられなくなってしまった。
思わず阿部君の胸元に体重を預けると、阿部君は吐息を混じりに、ちょっと笑ったみたいだった。
それからいつもオレの球を取ってくれる両腕でオレを抱え直すと、ベッドまで連れて行ってくれたんだ。
……そうなんだ。
オレって馬鹿だから、同時にふたつのこと考えたり、できないんだ。
阿部君の様子がおかしかったから、てっきり怒らせちゃったんだってびびりまくって、それでいっぱいいっぱいになっちゃって、勘違いだったことに安堵した頃には、もうすっかりなんのために阿部君の家に来たのか、わかんなくなっちゃってたんだ。
気がついたらオレは、阿部君のベッドの上で真っ裸になっていて、阿部君の手とか口とかに追い上げられるまま、恥ずかしい声を上げていた。
最初は一生懸命声を我慢しようと思ったんだけど、阿部君に今日はみんな帰りが遅いからって言われて、同時にあそこを擦りあげられちゃって。
一旦声を出しちゃったらもう駄目だった。
あとからあとからひっきりなしに変な声が溢れ出てしまって、オレは恥ずかしくて死にたくなるんだけど、そんなときの阿部君はすごーく嬉しそうだから、阿部君がいいならそれでいいやって自分を納得させた。
それにしても今日の阿部君は、ちょっと、その、しつこかった。
何度も何度もオレをあとちょっとのところまで追い上げるんだけど、どうしてだか最後の刺激を与えてはくれない。
それは阿部君がオレの中に入ってきてからも、変わらなかった。
ゆるゆる中途半端に腰を動かすばっかりで、決定的な動作を控えてるみたいだった。
初めのうちはオレも、もちろん辛抱していたんだけど、でもあんまりそんなことばかり繰り返されるもんだから、しまいには気持ちいいよりもいけない辛さの方が勝ってきてしまって。
いつしかオレは、涙をぼろぼろこぼしながら、阿部君にもういかせてってお願いしていたんだ。
そしたら阿部君は、満面に笑みを浮かべた。
それからおもむろに口を開いた。
「じゃあさ、名前、呼んでよ」
「……え……?」
「オレの名前。そしたらいかせてやる」
「な、まえ……」
「そう、オレの名前。呼んで?」
「あ、べくん……」
阿部君の唐突な物言いに、オレはまわらない頭でそれでもなんでそんなこと言うんだろうと瞬間思いながら、一刻も早くいかせてもらいたいばっかりに結局言う通りにした。
そしたらオレに覆い被さっている阿部君は、がっくりと項垂れてしまった。
呼べっていうから呼んだのに。
阿部君、変なの。
そんなオレの心中を察したかのように、阿部君はおもむろに顔を上げた。
「……おまえそりゃー苗字だろ? オレが言ってるのは名前、オレの名前」
ああそういうこと。
「たかや、く……あっ」
ようやく阿部君の希望を理解したオレは、ご要望通り名前を口にしてみた。
もうなんでもいいから、早くいかせて欲しかったからだ。
でもそしたら阿部君は、またしても項垂れてしまった。
なのにオレの中の阿部君は、これまで以上に元気になったみたいだった。
体内で増した質量に、オレはこらえきれない声を上げた。
「え……、なに? あべく……」
「……みはし……もっかい」
「う……?」
「もっかい、呼んで?」
「たかや……あっ」
乞われるままに今一度名前を呼べば、阿部君は不意に腰を激しく突き上げてきた。
オレはようやく与えられた刺激に、頭が真っ白になっちゃって。
阿部君に揺さぶられるがままに恥ずかしい声を上げ続けると、あっけなく欲の証を吐き出してしまった。
結局、オレが当初の目的を思い出したのは、もうすぐ阿部君のおうちの人が帰ってくるだろう時分になってからだった。
運動したせいでお腹がすいたから、オレの買ってきたお菓子を食べようってことになって、それでコンビニの袋と一緒に放り出してあった鞄にも目がいって。
オレは血の気が引く思いがした。
きっと、真っ青になっていただろうと思う。
視界がみる間にぼやけて、どこか遠くに阿部君の声を聞いていた。
今からじゃ、もう絶対に、間に合わない。
阿部君は、突然泣き出したオレにすごく慌てたみたいだった。
どうしたって言うから、オレは一生懸命説明したんだけど、要領を得ないせいかなかなか理解してもらえなかった。
それでも何度かつたない言葉を繰り返し、論より証拠とばかりに宿題のプリントを見せたら、阿部君はなんとか状況を分かってくれたみたいだった。
でも。どうしてだろう。
そのとき阿部君は、すごーく気まずそうな顔を、した。
と、思った。
でもオレがあれこれ考え始める前に、阿部君がにっと笑ってまかしときなって言ってくれたから、なんとなくうやむやになってしまった。
結局宿題は、阿部君が見てなって言ってさくさくと解いてくれたから、あっという間に終わらせることができた。
いつもなら、解き方のヒントをくれるだけで絶対に自分で考えさせようとするのに。
やっぱり今日の阿部君はちょっとおかしい、かもしれない。
けど阿部君とも仲良くできたし、その上宿題もしてもらえたんだから、オレを怒ってるとか、うざがってるとか、嫌いになったとか、そういうんではないよ、ね。
阿部君の具合が悪かったりとかでもないよ、ね。
そんな胸中から、オレはおずおずと阿部君の目を見た。
そしたら阿部君は、どうしたって言って笑って、頭を撫でてくれたんだ。
だからオレの些細な疑問なんか、瞬時に吹っ飛んじゃって。
オレはなんでもないよって、かぶりを振ったんだ。
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