君の呼ぶ声
確かに、寝入り端を起こされたオレは、そもそも不機嫌だった。
布団を頭から被り、あーうっせぇ誰か早く取れよと悪態をついていたくらいだ。
でもそうやってしばらくの間耐えてから、家には誰もいないんだってことにようやく気がついた。
オレの不機嫌に拍車がかかる。
どうせくだらねぇセールスだろうと無視を決めこむも、いつまで経っても鳴り止まない。
「……なんで留守電になってないんだよっ!」
家中に響き渡る電話の音に、オレは仕方なく横になっていたベッドから起き上がった。
結局昼寝を邪魔されて、気分は最悪だった。
乱暴な足取りで部屋を横切り、蹴破るような勢いでドアを開ける。
階段にいたっては、親がいたら間違いなく怒られるような音を立てて下りた。
リビングへ入ると、延々鳴り続けていたベルを止めるべく受話器を取った。
「――もしもし?」
応じる声が恐ろしく低かったとしても、この場合当然の結果だと思うんだよな。
『……あ、の?』
けど受話器から聞こえてきた声に、オレの怒りは瞬時に治まった。
どころか顔がにやけた。
我ながらげんきんだと思うがこればっかりは仕方がない。
でもオレらの年頃だったら当たり前だよな。
付き合ってるヤツからの電話だったら、いつなんどきだって大歓迎だろ普通。
しかもオレが付き合っているのは、超びびりで卑屈で対人スキルゼロの三橋だ。
オレしか出ない携帯でさえかけるのを躊躇するようなヤツである。
その三橋が携帯をすっ飛ばして、誰が出るか知れない家電にかけてくるなんて!
……まあ単にそれだけの用があるのかもだけど、ちょっとくらい夢見ごこちになったとしても、ばちはあたらねぇよな。
なんて浮かれていられたのは、三橋の次の言葉を聞くまでだった。
『あ、阿部君……』
「うん」
『いますか?』
「はあ?」
またしても地の底から響いてくるような声音になってしまった。
でも当ったり前だよな!
だってオレはたった二文字分で三橋だって分かったのに、アイツはオレだって分かんなかったってことだろ?
確かにいろいろあって不機嫌極まりない声音だったけど、ただの友達ならともかく、付き合ってる相手の声が分からないなんて……。
ひどいだろむかつくだろ腹も立つよな当然だよな。
『あ、あ、あ、あの……阿部君……』
電話の向こうでは、三橋が半泣きの声で繰り返している。
オレの剣幕にびびりまくってますって感じだな。
しかもまだオレだって分かってないし。
はっきりいってオレは傷ついたぞ。
「……うちは阿部だけど?」
なので腹いせに、ちょっと苛めてみることにした。
うちには三人阿部君がいるからな。
マジでオレ以外が出たら、ありうる返答だろう。
だが三橋にとっては想定外の応答だったようだ。
しばしの沈黙のあと、三橋は芸もなくまた同じことを繰り返した。
『……あの……阿部君、を……』
「だから、阿部だけど?」
オレはしれっと答えてやった。
つーかどんだけテンパってるんだよ三橋のヤツ。
阿部君阿部君って、馬鹿の一つ覚えみたいに。
まずは名を名乗れ自分の名を。
話はそれからだ。
『……』
「……」
そしたらとうとう黙り込んじまいやがった。
ちっ、しょーがねぇなぁ。
まあ今回は家電にかけてきたことに免じて、許してやるかと思っていたとき。
『……』
三橋がなにか呟いたような気がした。
――気の、せいか?
いや、今確かに……。
『隆也、君』
「へ?」
オレの口から、間の抜けた声がこぼれ落ちる。
『隆也君、いますか?』
「……」
『あ、の……隆也君……』
「……あー……ちょっと、待って……」
オレはかろうじてそう口にすると、保留ボタンを押した。
よく耳にするけど、曲名は知らないオルゴールの音をどこか遠くに聞きながら、ずるずると床に座り込む。
顔が赤くなっているであろうことが、鏡を見るまでもなくよーく分かった。
電話でよかったと、こころの底から感謝する。というのも――。
「……反応しちゃったよ……」
はははと乾いた笑みを浮かべながら、オレはひとりごちた。
いや、だとしたら電話だからよくなかったと思うべきなのか。
なんてゆーか電話を通した三橋の声はいつもよりちょっとかすれていて、緊張からか上ずっていて、しかもオレがびびらせたから涙声になっていて。
――要するに。
あのときの。
声みたいだったんだ。
その上そんな声ではじめての名前呼びなんかされちゃった日には、どうにかならないほうが男として問題があるだろう。
多分。
と微妙に開き直ったところで、オレは勢いよく立ち上がると保留を解除しつつ、家族の今日のスケジュールを確認した。
うん、今日はみんな遅くなるって、言っていたな。
「もしもし、三橋?」
『え……? あ、阿部君?』
「おまえさ、これからうち来いよ」
幸いにも、明日の部活はグラウンド使用権の関係で、午後からだ。
自分でまいた種は、きっちり収穫してもらうに限るわけである。
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