特急列車で通過しただけで、何の印象も残っていない宗谷本線を改めて普通列車で楽しむためにこの旅をプランした

過去は夜行急行ハマナスと、太平洋フェリーを使っていたのを、「新幹線で」津軽海峡を越えた
貨物列車とすれ違うため、スピードを落とすとは聞いていたが、青函トンネル内ではその通りの安心感のある列車走行であった。
 
新幹線と特急列車で北上
盛岡(15:37)-新函館北斗(17:51)
新函館北斗(18:11)-東室蘭(20:10)
新函館北斗にダイヤ通り到着し、特急に乗り換えて東室蘭のホテルに投宿。
大浴場があるので選択したが、ここの「天然温泉 神威の湯」は本当に素晴らしかった。

投宿した東室蘭の「ドーミーイン」

東室蘭駅にて特急札幌行きに乗り込みまずは札幌へ

東室蘭(08:25)-札幌(09:48)

東室蘭駅ホームで特急を待つ 乗り込む特急札幌行き

列車から見えたのは羊蹄山だろう

列車から見えたのは羊蹄山だろうと思い写真

そして旭川へ、

札幌(10:00)-旭川(11:25)
札幌駅発車
 

いよいよこの旅のハイライト、宗谷本線各駅停車の旅

旭川(12:31)-南稚内(19:49)

美唄駅

美唄炭鉱が関係する駅だろうと認識してカメラに収めた
炭鉱は露天掘炭鉱として再開・稼動中とのこと

美唄駅、車窓から

比布駅

お尻のひっぷ(hip)駅とは面白い駅名なのでカメラを向けたが、「ぴっぷ(Pippu)」が正しい

比布駅、車窓から

塩狩峠

車両は塩狩峠への登りを始めた、それに気が付き、あわててカメラを構えた。

塩狩峠は、北海道上川郡比布町(旧石国)と 上川郡和寒町(旧天国)の境にある峠で天塩川水系と石狩川水系の分水界
車両は塩狩への登りを始めた
車両は塩狩への登りを始めた

塩狩駅

長い長い登りの線路の先に塩狩駅があった

この駅の標高260メートル
旭川との標高差は約150メートル
この先の名寄駅が海抜99メートル

塩狩駅

1909年(明治42年)2月28日、午後8時過ぎに蘭留駅を出発した8100形蒸気機関車牽引の名寄駅発旭川駅行き最終急行列車が塩狩峠の頂上付近に差し掛かった時、連結器が外れて最後尾の客車が単独で上り勾配を逆行・逸走する列車分離事故が発生した。
乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)旭川鉄道運輸事務所庶務主任・長野政雄が、デッキ上のハンドブレーキを操作して暴走する客車の停止を試みるもデッキから転落し、床下に巻き込まれ殉職した。
しばらく走行したあと客車は停止し、乗客にけが人や犠牲者はなかった。(ウィキペディアから転載)。三浦綾子が小説『塩狩峠』にした。

峠頂上付近の塩狩駅近くには長野政雄の顕彰碑が建立され、三浦の旧宅を復元した塩狩峠記念館がある

再び登り、塩狩から名寄へ

この3枚の写真でこの路線に乗って本当に良かったと痛感した
このようなまっすぐな線路はなかなかお目にかかれないし、気持ち良し
再び登り 再び登り 再び登り

和寒駅、東六線駅、剣淵駅へ

「剣淵」の当初の読みは「けぬふち」、とのこと

剣淵駅

士別駅

士別駅 士別駅

ようこそ、羊のまち、
サフォークランド士別、羊と雲の丘へ

羊のまち、士別 ホームの看板、ようこそ、サフォークランド士別へ