九州で行き残したところ、再訪したいところと共に「日本の東西南北の端の駅を訪問する」をテーマに、この夏は九州の最西端と最南端の駅への旅を計画した。

関西と福岡や大分への行き帰りの格安なルートについてネットで調べていたら、「フェリーさんふらわー」の「九州ぐるりーん舟遊・縦断プラン」というのを見つけた。 それを利用すると、片道の交通費より安い旅費で大阪〜九州を往復できる。よし、これだ、ということで、それを利用しての「佐世保・有田・武雄」再訪を含めた九州西部への旅を企画した。

しかし、終わりよければ全て良しにはならず、鹿児島県に入るところで台風の影響で帰りのフェリー欠航の知らせが来た。
そんなことなら、行きのフェリーを大阪〜志布志にすればよかったというのは後の祭り、泣く泣く新幹線で新大阪まで帰ってくる羽目になったのは返す返すも残念。 しかし、テーマと目的はしっかりとこなした。

「東西南北の端の駅を訪ねる」の残るは最東端の「東根室駅」。次は北海道だ。
なお、行くつもりはないが、日本最南端の駅は沖縄都市モノレールの赤嶺駅だそうだ。
 
出発駅-到着駅/目的地
記事
初日:神戸「住吉駅」から六甲アイランド北口に行きフェリーに乗船、瀬戸内を大分に向かう。
  東海道本線-山陽本線
大阪-芦屋(16:28)
芦屋(16:30)-住吉(16:35)
駅前からシャトルバス
フェリー出航(19:00)
明石海峡大橋(20:00)
瀬戸大橋(23:25)
来島大橋(01:45)
今回は昼間の普通列車でひたすら神戸「住吉駅」に向かう。
翌朝の「大分西港」の到着予定時刻が06:20なので、すぐに下船しないで一時間の「船内待機」ができる。つまり一時間余計に寝れる。 それを申し込んだら、なんと18人くらいの部屋に自分ひとり。船会社の受付の女性に「もしかしたら一人かもよ〜」と言われたがその通りになった。
まずは、部屋の奥の隅に寝床を作り、船の「大浴場」で一日の汗を流す。 18人くらいの部屋に自分ひとり
夕食は船内のキャフェテリアでバイキング、安価なのに品数が多く、自分には味付けも丁度良く、うまかった。
20:03、明石海峡大橋が眼前。橋げたのケーブルにつけられた青いライトがきれいなアーチを描いている。 その後、ほとんど時間を経ずして、寝てしまった、なので瀬戸大橋と来島大橋を通過した時は夢の中
二日目:阿蘇を横断し、熊本と島原半島を経て長崎県大村に向かう。
  豊肥本線-熊本フェリー-島原鉄道-大村線
大分西港到着(06:20)
徒歩で西大分駅へ
西大分(07:40)-大分(07:43)
翌朝、もうすぐ大分西港、小雨模様
05時27分、あと一時間で大分西港
定刻に大分西港着、「船内待機」したあと下船、10分もかからずに西大分駅に到着。
07時28分、西大分駅
駅舎の玄関口には切符売り場がない。そのまま進むと、ホームへの階段を降りた目の前に簡単な切符売り場のボックスがあり、駅員のおじさんが入っていた。なんと合理的と感心。 そのことをそのおじさんに言ったら、逆に「ほかの駅で見たことありませんか?」と聞かれた。 自分の経験では臨時の売り場や自動販売機は別にして、ホームにこのような構造物と駅員がいるのは初めてだ。
大分(08:31)-豊後竹田(09:43)
大分駅で朝食を取る。そして、豊後竹田行きに乗車、滝廉太郎の「荒城の月」で有名な「豊後竹田」に行く
豊後竹田駅の駅名票
豊後竹田駅を正面から撮影
豊後竹田駅のホームで「歓迎七つ星」ののぼりを見る
次に乗る宮地行きの列車が待っていた。
次に乗る宮地行きの列車
豊後竹田(10:32)-宮地(11:15)
宮地駅の手前で阿蘇カルデラ方向を見る。
宮地駅の手前で阿蘇方向を見る
大分と熊本の県境の駅、宮地駅に到着。
宮地駅に到着
宮地(11:46)-熊本(13:18)
待ち時間を利用して駅前に買出しに行った。駅に戻って、運転見合わせの掲示があるのを発見してあわてた。
大分まで戻らなければならないか、前半の旅程全面変更かと青くなり駅員に運転再開の状況を聞いたら、丁度入ってきた列車を指差して運転再開、と教えてくれた。
その列車が運転見合わせをしていた肥後大津からの列車で、その折り返しに乗車する予定であった。助かったぁ。

プラン通り、宮地駅から阿蘇駅、そして赤水駅。まさに阿蘇カルデラのど真ん中を通って車窓観光することができた。

赤水駅
赤水駅で見た阿蘇一帯を説明する看板
特急「阿蘇ボーイ」とすれ違う。旅の計画段階で、行程に組み入れることも考えた列車だ。 特急「阿蘇ボーイ」とすれ違う
ということで、すごくラッキーなことにプラン通りに熊本に到着した。
バスで熊本港へ
熊本駅前のバス停留所で熊本港行きの路線バスを待っていたら、突然滝のような雨、他の方々とともにバス停のまん前の建物の入り口に逃げ込んだ。
幸いにも、バスが到着したときには小降りになって乗り込むことができた。
熊本港(14:50)-島原港(15:20)
これから乗り込むオーシャンアロー号。
オーシャンアロー号
フェリーは普賢岳直下にある島原港に向かって進む。正面に見る普賢岳の稜線は恐ろしげな恐竜の背中のようで、今にも動きだしそう

オーシャンアロー号の左舷から普賢岳を見る 同じく右舷から普賢岳を見る
正面に普賢岳を見る 正面に普賢岳を見る
島原外港(16:11)-諫早(17:28)
諫早(17:52)-大村(18:03)
島原鉄道の車窓から、引き潮の有明海。
車窓から丁度引き潮の有明海を臨む-1 車窓から丁度引き潮の有明海を臨む-2
九州はもう赤とんぼの季節、たまたまだが左の写真中央上に写っている。右は大三東駅
車窓から丁度引き潮の有明海を臨む-3 島原鉄道・大三東駅

阿蘇の山中でハラハラさせられたが、予定通り大村駅に到着、ホテルにチェック・インできた。 JR大村駅
三日目:「九州陶磁文化館」を再訪、松浦鉄道の有田から佐世保までの全線を完乗する。
  大村線-佐世保線-松浦鉄道
大村(09:44)-早岐(10:36)
早岐(10:38)-有田(10:50)

九州陶磁文化館
柴田コレクション

当初のプランではこの日は長崎観光を考えたが、観光客が多いようで宿が取れず、有田の「九州陶磁文化館」から「松浦鉄道」で佐世保に行く旅程に変更。
早岐(はいき)の手前で、車窓から「ハウステンボス」を見た。 車窓から「ハウステンボス」を見る
有田の「九州陶磁文化館」と「松浦鉄道の伊万里〜有田」には、既に2013年3月に来ている。

伊万里の方は時間をかけてじっくり勉強させてもらったが、 「九州陶磁文化館」の方は通常展示のルートの最後にあった第五展示室の「柴田コレクション」に目を奪われたが閉館間際、 係員の閉館作業を横目に粘ったが時間が足りず、心残りで退館した。 その「心残り」を埋めるべく「柴田コレクション」再訪を旅程に入れた。

「柴田コレクション」はいわゆる美術品というより、有田で製作された日常的に使われる有田磁器を集めたコレクションであることを勉強した。 解説書にある寄贈主の柴田明彦・柴田裕子氏の説明によれば、「江戸前期(1637-1672年)と中期(1672-1780年)の民窯有田磁器を染付を中心に色絵、白磁、青磁を収集し、 若干の江戸初期の染付を補充し、1067件、2467点となっています。」とあり、すばらしい染付の磁器が多数あるコレクション。 自分はその中でも青磁と染付を融合させた作品に特に魅かれた。
松浦鉄道
有田(14:00)-伊万里(14:24)
伊万里(14:36)-たびら平戸口(15:46)
たびら平戸口到達証明のスタンプ
伊万里は有田をはじめとする肥前の陶磁器製品の主としてヨーロッパへの積み出し地(港)として栄えた町。
伊万里駅とたびら平戸口駅の間は、中間にある松浦の火力発電所(下の写真)が目立つくらいで取り立てて感想するものはなかった。
火力発電所の一帯を車窓から
日本最西端の駅を標榜する「たびら平戸口駅」は平戸市への玄関口にあたり、平戸大橋で平戸島につながっているが、橋までは行かなかった、 というより看板の地図を見ても橋までの行き方がよくわからなかったので行くのはやめた。
さしたる駅ではなかったが、以下は「日本最西端の駅」到達記念の写真。 たびら平戸口駅
たびら平戸口
たびら平戸口、日本最西端の駅を示す碑
松浦鉄道
たびら平戸口(16:20)-佐世保(17:47)
佐世保からの折り返しの列車で佐世保に向かう。たびら平戸口から先はほとんど内陸部を走るのでただの生活路線。下は途中にある「佐々駅」の駅舎。 松浦鉄道佐々駅
佐世保駅の一つ手前に「佐世保中央駅」があったが、まわりを見ても「中央」らしさがなく、へんな「中央駅」というのが率直なところ。
ということで松浦鉄道を完乗して佐世保駅に到着。 JR佐世保駅の正面
やはり、佐世保駅にも「日本最西端の駅」の碑は存在した。 JR「日本最西端の駅」の碑