アルバムから古い写真を引っ張り出したことで、その旅の概要を思い起こした。
旅程は、高崎-月夜野-三国トンネル-新潟近辺-酒田-秋田-男鹿半島-能代-十二湖-深浦-千畳敷-鯵ヶ沢-岩木山-弘前-(覚えていない)-福島
1966年8月のある日、東北に車で旅に出た。
軽井沢での合宿で通りなれた17号線を北上、月夜野町、三国トンネルを経て新潟に向かう。
途中国道のどこかの路肩に車を止めて眠ったはず。
その先は7号線を北上、酒田に出て、本間邸を見学後、秋田に向かった。
本間邸では当主か、執事の方に、邸内の案内とご説明をいただき、小さな細密画に見入ったのを記憶している。
秋田駅の駅前広場に車を止めて、近くの銭湯でアセを流したあと、通学の学生たちを観察し、男鹿半島に向かった。
まずは寒風山を観光し、半島の先に車をむける。
下は男鹿半島の先端、自分のアルバムには一の目潟と記載されている。
でも道筋からみて撮影場所は恐らく「八望台」あたりで、二の目潟の間違いかもしれない。
奥は戸賀湾、その奥の山の向こうが入道崎になる。
下の写真は男鹿半島突端の入道崎だと思われる。
さらに男鹿から能代へ。能代市内の広い国道を通過し、その先の大間越街道を北上。
翌朝、海岸を離れて日本キャニオンから十二湖に向かい、「青池」まで行く。
「十二湖」青池
海辺に戻り、五能線沿いに集落をたどりながら、大間越街道を北上、日本海の景色を楽しんだ。
下は、日本海をバックに五能線
岡越えの未舗装道路の左右は畑、要するに街道とはいえ、農道を通過していった。
能代市内を出てからは、街道というよりも、浦浦の集落を結ぶ「道」を通っていったのが実際であった。
深浦の手前で夜になり、通り沿いの浜にあった海の家みたいな所で泊めてもらった。
夕食に出てきたあわびは本当に新鮮だが、硬いのと食べ慣れていない食材なので残してしまったが、
翌朝それは柔らかく煮付けられて、それはそれは美味であったことが強く印象に残っている。
翌朝、少し車を走らせると道路際に「千畳敷」があった。その岩場で、しばし遊ぶ。
車を先に進め、海沿いの大間越街道を鯵ヶ沢の町なかで右折、鯵ヶ沢街道に入り、岩木山に向かった。
下は現在の地図、まち中の狭い道を右折していった記憶がある。
街道沿いの岩木山には丁度一年前に開通した有料道路の「津軽岩木スカイライン」が通っていた。
下の写真は現在のもの(http://www.iwaki-skyline.jpより)
ものすごいつづら折りを車で8合目まで上がり、車を降りて山頂まで登った「岩木登山記念」。
登山者に撮ってもらったんだと思う。
鯵ヶ沢街道に戻り、弘前方向にりんご畑というか、りんごの木々の間を車を進めて、弘前城のお堀に出た。
弘前城を観光したあと、南下して福島に向かった。
そのコース取りは思い出せないが、鹿角-盛岡-仙台-福島と、夜っぴて車を走らせたんだろうと思う。