2013年1月に、「台湾・故宮博物院」を訪問した。 午前10時に入館し、退館したのが16時、館内に5時間。 昼食休憩は無し、退館時に少しお茶しただけであった。

展示内容が大量で、かつ全てが素晴らしかったからだが、特に陶磁器についてその原点を認識・勉強させてもらったのが最大の収穫だった。

「故宮博物院」見学により、気づかされた日本の陶磁器文化についての勉強不足を補うべく、 「唐津〜伊万里・鍋島〜有田」訪問の旅にでかけた。

これはその前半、唐津から伊万里までの記録。後半は有田から武雄、そして帰路の鉄旅の記録です。
出発駅-到着駅/目的地
記事
初日:大垣から小倉へ、東海道本線-山陽本線
「ムーンライトながら」で大垣へ
大垣(6:01)-姫路(朝食)
-三原(昼食)-小倉(20:25)
大垣から姫路まで直行し、朝食。

岡山あたりから西に行くに連れて桜の開花が段々と増えてきた。
車窓から桜の変化を楽しみながら、さらに西への乗り鉄の旅を楽しむ。
九州に入ると、処々に満開の桜模様になる、小倉で投宿し、初日の予定を終えた。

二日目:唐津市内見学、鹿児島本線-筑肥線(地下鉄)
小倉(8:53)-博多(9:58)
博多(10:21快速)-唐津(11:30)

唐津(17:32)-伊万里(18:26)
まずは、唐津駅北口にある「唐津ふるさと会館アルピノ」に寄って自転車を借りる。
観光案内図によれば市内には桜並木が数箇所あったので、どこがよいかと担当の方に聞いたら、なんと言っても「唐津城だ」とのことで、向かう。

石垣の補修工事中の唐津城を上がっていく。
唐津城を見上げる
唐津城から唐津湾を望む、時は春満開
唐津城から唐津湾を望む、時は春満開
唐津城から唐津湾全景を見る 唐津城から唐津湾を望む、唐津湾全景

唐津城の満開の桜を楽しんだ後、「特別名勝 虹の松原」へ自転車を走らす。 そこには、静岡県沼津の千本松原や津波で今は無いが、陸前高田の松原と同様のすっきりした松原があった。

「虹の松原」から唐津駅方向に戻り、 中里太郎衛門陶器房に行く。
門前に自転車を置いて、高床式の陳列館への階段を上り見学した。

そのあと、街中をあちこちうろうろしながら「アルピノ」に戻り、唐津焼の展示作品群を鑑賞してから、伊万里に向かった。

「唐津焼は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に連れ帰った陶工たちによって始められたと言われている。 安土桃山時代に茶道が流行したことから発展し、「1楽2萩3唐津」と呼ばれるほどわび茶碗として定着している。」 と解説されている。
絵唐津、朝鮮唐津、粉引唐津、三島唐津、彫唐津、刷毛目唐津、青唐津、黄唐津、献上唐津、斑唐津など、多彩な技法により制作されてきた。とあるが、
同種のものが日本全国にみられ、さながら日本の陶芸技術のデパートのような感がする。
と言うより、「萩」や「志野」と比べて、「唐津焼」のオリジナリティはどこにあるのかが、よく分からない。
三日目:大川内山、伊万里、九州陶磁文化館
西肥バス
伊万里駅(9:30)-
大川内山(9:45)
伊万里・有田焼伝統産業会館のご案内ページ
伊万里・有田焼伝統産業会館のパンフ JR伊万里駅前から、西肥バスで大川内山へ向かう。
昔の関所を入った先の終点で降り、まずはバス停の広場に接していた「伊万里・有田焼伝統産業会館」を見学した。

近くに「伊万里鍋島焼会館」もあったが、窯元見学を優先し、 鍋島藩窯坂沿いに窯元を見て歩き、鍋島の伝統を受け継いでいる窯元の製品を楽しませてもらった。

 
 
大川内山の全体図
(大川内山振興協議会発行の資料を転載)
 
窯元見て歩き

小笠原藤右衛門窯
窯元の一つ、「小笠原藤右衛門」のパンフレット 表紙


多数ある窯元の一つ、「小笠原藤右衛門」の製品紹介パンフレット
展示室内には、鍋島らしいきれいな製品が並んでいたが、「色鍋島」はさすがに素敵だ。
「小笠原藤右衛門窯」の製品紹介
福岡大五窯
純白の造形作品が特徴のようだった。
福岡大五窯のパンフレットの表
福岡大五窯のパンフレットの裏

西肥バス
大川内山(12:22)-伊万里駅(12:40)

伊万里鍋島ギャラリー
伊万里鍋島ギャラリー パンフレット


伊万里駅に戻り、松浦鉄道伊万里駅のビル二階にある「伊万里鍋島ギャラリー」を見学。

伊万里鍋島ギャラリー パンフレット
次に「伊万里市陶器商家資料館」に行く。 観光協会でもらった街中の地図を頼りに「資料館」の場所まで行ったが、それらしきものが見あたらず、うろうろした。
試しに「資料館」らしい場所の庭先に入って先に進むと、そこが目的の場所(うなぎの寝床の裏口)であった。
「裏にバイパスができて、本来の表口が駅方向から来ると裏になってしまった」ということであった。

中に入ると年配のボランティアの方が、建屋の構造から間取りとそれらの意味、各種の道具類などにつき、懇切丁寧に説明された。つまり、

「資料館」は、陶器商家の旧宅を修理・復元したもので、有田を始めとする肥前の陶磁器の集積地として、 陶器商人が定期的にやってきて寝泊りしながら、大阪や江戸、あるいは長崎・出島からヨーロッパなどへ送り出す拠点・作業場として使っていた屋敷跡であった。
そして、伊万里はかって「伊万里津」と呼ばれたことから、肥前地方一帯で生産された陶磁器、つまり「古伊万里」の積出港につながる話になる。

海のシルクロード館

古川陶磁器ショールーム
「伊万里市陶器商家資料館」の並びにあった「海のシルクロード館」にも立ち寄り、見学させてもらった。 「資料館」ともども、その昔を偲ばせる雰囲気の良い建物であった。

伊万里市陶器商家資料館と海のシルクロード館 古川陶磁器のパンフレット

「古川陶磁器ショールーム」(上右の「伊万里のうつわ」がそのパンフレット)にも立ち寄り、伊万里駅に戻る。