FATE 14 新月の兆候2
「どこへ行くというの」
『気にすんな』
強張った顔の立花を軽くあしらい、蒔闇は掴んだ腕を引き寄せた。
『いいか、お前は今魂だ。お前は俺を触れない。お前を触れるのは俺一人。解ったら黙ってついてこい』
腕を掴まれた立花は蒔闇に連れられ部屋を出た。
もちろん壁を擦り抜けて。
「気味が悪いわ」
『俺達には日常だけどな』
暗闇の草原に出ると、蒔闇は軽く地面を蹴って舞い上がった。
「どこへ行くの!?」
空へとどんどん昇っていく蒔闇に尋ねても彼はニヤリと笑うだけ。
地を離れ足が落ち着かないと感じる頃、蒔闇は上昇を止め、両手を握り立花を引きあげた。
『綺麗だろ?』
蒔闇の視線の先には街の夜景が見えた。
「…そうね…」
『つれねぇなぁ!』
立花はむっとする蒔闇を睨みつけた。
「当たり前です。急に蔭時様の体を乗っ取って現れてあんなことして魂抜くなんて!」
『急に、はどこにかかるんだ?』
「全部よ!」
よく見ると立花の顔はほのかに朱い。思わず吹き出してしまった蒔闇に上がった立花の手を彼は制した。
『おっと。一応体は蔭時のもんだからな、傷つけないでくれよ』
「………っ!」
『別にいいじゃねぇか、キス位。いつもしてんだろ?』
「してませんっ!」
真っ赤になって否定する立花を見て蒔闇はケラケラ笑う。
『つまんねぇ主人だなぁ。役得だろうに』
怒りと呆れと照れが複雑に絡み合って言葉が出てこない立花を他所に蒔闇は夜景を見つめた。
『この景色が一番綺麗だな。この研究所は醜過ぎる』
ぽつんといきなり呟いた蒔闇を訝しげに立花は見た。
「…そうなの?」
『主人をこんな姿にする研究所は狂ってないのか?』
その返答に立花は黙り込んだ。
『お前は主人が憑依されたとしか考えねぇだろうけど、俺だって一応肉体持ってたんだぞ…幽霊だから肉体じゃねぇけど。研究所でひたすら酷使されて実体は破壊。DNAしか遺んなかった…。で、それが今回あんたの主人に移植されたんだよ。俺だって久々のカラダだ。喜んだって罰あたんねぇだろ?』
立花に向き直ると、彼女は複雑な顔でこちらを見詰めていた。
『別に同情しろとはいってねーぞ。とりあえずお前に話しておかねぇと蔭時に伝わらねぇからな』
「…なら、こんな所に来る必要はなかったんじゃないの?」
首を傾げた立花に蒔闇は向き直る。
『甘いな。あそこには一秒たりとも心休まる場所はないと思った方がいい』
立花は目を見開く。
『お前達はどうにかなると思ってるかもしんねぇがな、絶対どうにもなんねぇぞ。お前に忠告しておく。肝に命じておけ』
静かに、しかし相手が口を挟む余裕もない程に蒔闇は言い放つ。
立花が息を飲むと蒔闇は小さく溜息をつく。
『今俺は新月の晩しか表にはでない。それ以外は蔭時だから安心しろ。俺が言えるのはこれだけだ。お前は?』
立花に質問を促すと彼女はゆっくりと口を開いた。
「“今”って…どういうこと?」
『今後はどうなるか知らん、ってことだ』
言葉の端を突かれ苦笑しながらそう答えると蒔闇は握っていた右手を立花の額にかざした。
『戻してやる。目つぶっておけ…』
「ちょっと待って!それって貴方が侵食して蔭時様が消えるってこと!?」
立花の問いに蒔闇が答えを出すことはなかった。
気付くと立花は数刻前と同じ様に暗い部屋に座り込んでいた。
別れ際に意地悪く微笑んだ蒔闇の顔が心に暗雲を運んでいた。
「そんなことがあったのか…悪かったな、心配かけて」
昨晩の出来事をかい摘まんで話すと蔭時は低く唸った。
「悔しいが記憶が全くないんだ。…今になって香の気分を味わう羽目になるとはな…」
「あの…ミサトみたいに共存は…無理なんでしょうか」
不安顔で尋ねる立花に苦笑する。
「無理だろうな。あいつは同意の元の共存だからな」
「そう…ですか…」
立花は言えなかった。
“もしかしたら蔭時が蒔闇に支配されてしまうかもしれない”ということを…
「なんだか昨日は何事もなく終わったみたいですよ」
「これからだからね。」
蒐はにこりと笑って広い椅子に深く腰掛けた。
「彼にはもう少し楽しんでもらうよ。で、あちらのワタッコはどうだい?」
「準備完了です。明日から場所を移し実験を開始します。まさかあの子に会えるとは、思ってもみませんでしたからね、研究員たちも張り切ってますよ。」
鏡一は一礼し、準備のために部屋を出た。
「まったく、楽しい実験体が増えたものだね…」
誰もいない部屋に一言だけがこだまして、消えた。
2005/08/25