FATE 13 新月の兆候
研究所について六人はばらばらになった。
だからその後の状況は知らない。
だが、その日の午前中、蔭時はやっと立花に会うことが出来た。
彼女は着替えさせられたのか、はたまた研究員の要望で力を使い服を変えたのか、純白の簡素なホルターネックワンピースを着ていた。
蔭時を見つけ、走り寄ってくる。
「蔭時さま、たった今検査が終わりました」
「検査…されたのか…?」
立花は首を縦に浅く振った。
「大丈夫です。手荒なことは何もされていません。唯、私が珍しい種だから研究したいと…。普段は蔭時さまと一緒にいて構わないそうです」
蔭時はほっとしたが、なんだか複雑な気分だった。
「すまない…お前をそんな目に遭わせたくはなかった」
影を落とす主人とは裏腹に立花はにこりと笑った。
「そんなことありません。蔭時さまは出会ったときの約束を守ってくださいました。私は感謝しています」
ぺこりと頭を下げた立花に蔭時は苦笑する。
「まぁ、家政婦みたいにこき使われてちゃ変わんないか」
「確かにあの二人のお守りは危険だわ」
くすくすと立花は笑い、ふと尋ねた。
「なにか急いでいらっしゃるのですか?」
「…力か勘かしらないがよく解るな」
蔭時は腕時計を見る。
「急いではいないが午後一で俺も検査なんだ。唯の人間に検査もなんもなかろうに。大仰だな」
「そんなことはありませんわ。大切な体ですもの、きちんと健康状態を把握して…」
その先の言葉は蔭時が頭を撫でて制した。
「解った解った。主人がお説教喰らっちゃ元も子もないな。まったく… 母親みたいなやつだ」
苦笑しながらそう言い残し、蔭時は緩やかに歩き出す。
「俺の部屋は4号棟の1014だ。後で会おう」
立花ははにかんで斜め後ろを歩く。
「ああそれから、その白いワンピース、似合ってるぞ」
表情は見えなかったがおそらく笑顔でそう言って、手をひらひらと振ると蔭時は実験室に歩いていった。
立花はその後ろ姿をいつも通り見つめていた。
「なんだか…怠いな」
正午から軽い検査を受け、注射を何本か打たれたが特に何事もなく事を終え、蔭時は部屋にたどり着いた。
しかし何とも言えない倦怠感が体を襲い、遂に耐え切れずベッドに倒れ込んだ。
ふと目が覚めたときにはすでに日が暮れ、窓の奥には星が瞬いていた。
「…眠っていたのか…」
ゆっくりと起き上がり空を眺める。
今日は月がいない。星達の絶好の宴時だ。
部屋の中は暗いまま、洗面所に向かい顔を洗う。
眠い目を擦る自分を鏡ごしに見たとき、鏡の中の自分が…
笑った。
『どうした?間の抜けた顔をして…』
開いた口が塞がらない蔭時を楽しそうに見つめ、鏡の住人は口の端をニヤリと上げて歯を見せて笑う。
『何を驚いてるんだかなぁ~自分が憑かれたことにも気付かないなんてなぁ~ヒヒヒッ』
「夢を…喰いに来たのか…?」
やっとのことで口を動かした蔭時は眉間に皺を寄せる。
自分はトレーナー、いざとなれば戦う事くらい出来る。…戦ってくれる使役モンスターがいれば。
しかし、帰ってきたのは高笑いだった。
『夢を喰う?ハハッ、くっだらねー!バカかお前は!俺はなぁ、“お前を喰いに来た”んだよ…!』
途端に体の奥が重くなり、蔭時はその場に崩れた。
鏡の住人は鏡の奥から蔭時を見下ろす。
『昼間に検査と偽って俺が憑依した事にも気付かないたぁとんだマヌケだと思ったが…まぁ名乗る前に正体が解ったことくらいは褒めてやろう。俺は蒔闇、ゲンガーだ。闇を愛し…新月の晩を好む…』
すうっと鏡から抜け出した鏡の住人は蔭時の中に溶けていった。
『まずは今晩…お前の居心地を試させていただくぜ』
完全に憑依された蔭時は暫く胸を押さえて踞っていたが、急に体が軽くなった気がして起き上がった。
「…………………!?」
鏡の自分は明らかに先程と違う。漆黒の髪、頭には同じ色のバンダナ、闇色の服は上着が背中で燕尾の様に伸びている。
瞳は真紅で闇夜に光る赤色星を思わせる。頬には何か奇妙な模様が入っていた。
『どうだ?中々いい男だろう?これが俺の姿だ…いや、お前の姿かな?』
「……」
饒舌に話す蒔闇は横の髪をかきあげる。
『ちゃんとピアスは着いてるから安心しろよ…聞いてるか?』
「……」
蒔闇は蔭時が反応を示さないのではなく示せないのだ、と気付く。
『そっか。乗っ取られて自由きかねえか。しゃあねぇ』
闇に落ちた部屋の窓を開け、ベランダに上った蒔闇は、地面に向かってダイブし、風にのって舞い上がる。
『さて…と、お前の大切なヒトにご挨拶と行くか…』
研究所の壁を擦り抜け意中の部屋までたどり着く。
ドアをも通り抜け、部屋に入ると、暗い部屋に少女は立っていた。
「蔭時様に…何をなさったの…?」
第一声で核心を突かれ蒔闇は笑った。
『流石、トクベツなドラゴンだけあるな』
「蔭時様を返して」
『だぁいじょうぶ、夜が明ければ元通りだぜ』
音もなく立花に近寄り、蒔闇は瞳を覗き込む。
『こいつの記憶の中に随分美人がいたんで挨拶しにきたんだが御不況を買ったらしいなぁ』
「当たり前です。早く蔭時様を戻して…っ!」
不意を突かれ腕を掴まれた立花は蒔闇に口付けられた。
掴まれた腕を残し、床に崩れた立花を静かに寝かせ、傍らに呆然と立つ、透き通った少女に語りかける。
『元の身体に戻りたきゃ一晩付き合いな』
真紅の瞳を細め、少女の細い腕を筋張った手で撫でる。
『上等な魂だ…気に入った。立花』
「気安く呼ばないで」
手を振り払おうとしたが、その動きは蒔闇を通り抜け、逆に腕を掴まれた。
『魂の癖に生意気な…。実は気高いお嬢様か…まぁいい』
真紅の瞳と目が合ってしまい、睨まれて、立花は動けなくなった。
肉体と離された少女の魂に 蒔闇は甘く囁く。
『…一晩付き合え…クレイジーランデブーだ…』
2005/08/11