赤い川の流れるほとりで
自転車行商のおじいさんから真っ青な羊羹をもらう話


(全四部のうちの第一部分)


赤い川の流れるほとりに立っているんです。
その川は流れている水も赤いし、岸辺も赤いし、
そんな真っ赤な川が流れていて、
そのほとりにぼくは立っている。
すぐ近くに、その小さな川にかかっている橋があるんですが、
その橋も欄干とか何から真っ赤です。

川の流れの中を鯉かなにか三尾ほど泳いで行くのが見えます。
夕暮れ時で、夕日が沈んでいくところです。
遠くのほうには工場か何かがあるようで、
黒くシルエットが浮かんでいるような、
その2、3本立っている煙突からはもくもく煙が出ているようです。

笛のような音が遠くから聴こえてきていて、
それは少しづつ近づいてきます。
自転車に乗ったおじいさんが、その音を立てながら、
こちらにゆっくりと向かってきているようです。

「ああ、豆腐か何か売ってるひとなんだな・・」と思っていると、
気がついたら急に、おじいさんはぼくのかたわらまで来ていて、
あまり物は云わないんだけど、 ぼくに対してはフレンドリーな雰囲気で、
荷台から売るものを何か取り出してくる、
そしてそれをひとつぼくに勧めるんです。

よく見たら、それは豆腐じゃなくて羊羹なんですけど、
それが目も覚めるような、真っ青なすごく綺麗な羊羹なんです。
へえーって思って、出してくれた羊羹を、おじいさんもフレンドリーだし、
ひとつ食べてみようかと思って、勧められるままに、ひとくち口に入れかけた、



するとその途端に、赤い川の水が水かさを増して、
ふくらみあふれて、しかもボコボコと沸騰しているように大きな泡がたち、
ひたひたとだんだん水位が上がって来ます。
熱いわけではないんだけど、呑み込まれそうに上がってくる。

うわあ、どうしようと思っているところに、さっきの鯉たちが
沢山ぼくの周りに同心円状に一重二重と取り巻いて、
こちらに向かって口をあけています。
おじいさんはさっきの羊羹を、試食販売みたいに
小さく切り分けて、鯉たちにやります。



ぼくの目が鯉の一尾の視線とあったような気がしたと思ったら、
彼らはいっせいにその小さな胸びれを使って、
しきりにぼくのほうに何かを送ろうとしています。
その何かは、水中の藻かなにか小さいものだろうかと、
目を凝らしてみても視認することができません。

おじいさんの羊羹やりがひとしきり行き渡ると、
鯉たちは—いまや十数尾はいたと思いますが—いっせいに動きを止めて、
円陣を組んだまま、水中から空中に浮上してきて、
ぼくの胸くらいの高さで静止すると、
さっきの胸びれ送りをまたぼくに向かってやってくるんです。
何が送られてくるかは、やっぱり目には見えないんですが、
今度はそれが痛いくらいにブチブチと、ぼくのからだにあたってきます。

無言のおじいさんから「それは(鯉たちの)喜びをあらわしているんだから
だいじょうぶだよ」という思いだけが、伝わってくるように思います。
さっき腰まで来ていた水が、いまは足首辺りまで下がっています。



ふと気がつくと、鯉たちの姿は消えていて、おじいさんはまた遠くにいて、
自転車の前輪を使って、一輪車のように"その場回転"をしているのが見えます。

ぼくの足元には、さっきまでの水のかわりに、安っぽい舞台装置みたいな
赤いセロハンが敷きつめてあり、シャラシャラと乾いた音がしています。

突然、矢印記号そのままの形をしたカブラ矢が、ぼくの右斜め後方から、
ひっきりなしにたくさんヒュルヒュルと飛んできます、
でも立っているぼくにはあたらない、ぼくには刺さらないと、なぜかわかっています。

遠くから海鳴りか地鳴りのような低くうねる振動がからだに伝わってきて、
その一方、頭上のやはり右の、かなり上のほうからは、テープレコーダーを
早回しにしたキュルキュルというような、小さな音が聞こえてきて、
静かなままにも、だんだんその回転がゆっくりになってくると、
人間の声だということがわかり、
注意深く耳をすますと言葉が少しずつ断片的に入ってきます


「鳥の姿は仮だから、松の木の下で待つように ...

「子どもの顔が大きく膨らむとき、それは甘やかです ...

「苦しみは針ではありません ...

「けたたましい動物のふりをしても、夕食の食卓には戻ってきます ...


そんな言葉を次々に聞いていると、
ぼくのからだの奥にも言葉があふれてきますが、
ぼくはそんな言葉をイメージに変え、さらに物質に変えて、椅子を生み出します。
フリスビーくらいの小さな丸い座面に、九十センチほどの足が四本ついた、
木製の飾り気のない椅子です。
それは、ぼくが踊るための舞台装置であり、
かつ椅子自体も、空気を使って、みずから踊ります。

ためしに左腕を椅子の座面についてみると、からだが横倒しのまま
ふわりと難なく空中に浮き、腕一本で支えることができます。
座面についた五本の指に力を入れてみると、
椅子も四本の足をかわるがわる支軸にして、ゆっくりと波間にゆれるように、
動き出そうとするかのようです。
左腕の力を入れたりゆるめたりすると、T字型に横倒しのままのからだが
わずかに上下にしないます。

その動きを、注意深くゆっくりと繰り返していると、
斜めになった椅子が、一本の足だけを地につけたまま、少しずつ滑り出します。
流れる川からは六十度ほどの角度で離れて、左手前方へと、
セロハンを少々引き破ったかと思うと、すぐに草地に入り、
地面をひっかいて不安定な航跡を残しながら、
速度をややあげて進んでいきます。
ぼくは胴体で、進む方向の舵取りをしながらも、
ついた指の力の配分を微妙に変えて、腕一本を軸に、椅子の上で回転します、
ぼくの重みと回転のせいか、椅子は進みながらも、地面にめりこみはじめます。



草地の下は水が浸出していました。
地面を掘りながら進んでいくと、さわやかで純度の高い、クリスタルのような水が
どんどん湧き出てきます。
草地の下にはかなりの地下水が、いや地下水ではなく、
ぼくが進んでいる地面は、実は一枚の絨毯くらいの厚みしかなくて、
それが茫洋と広がる水の上にぺろりと一枚置かれているだけで、
土と見えたものも、ある特殊な粘着物で相互に繋がっているに過ぎず、
ここは、人工的なものと自然的なものが巧みにブレンドされている、
そういうところなんだな、と気がつきます。



いまやぼくは海上をボートに引っ張られて行く水上スキーのように、
椅子ごとからだごと回転しながら、水の表面を少し潜ったりまた水面に出たり、
かなりの速度で、右手後方からの追い風を受けているかのように進んでいます。
高速で回転するぼく自身が、まるで先ほどのカブラ矢のようで、
そして、鯉たちが送っていたものも、
今のぼくの状態の小さなミニアチュアみたいなものだったのか
(小ささも大きさもほとんど同じようなことだから)、
そして結局は、外に観察することと、この身に起こることと、内側に見えるものは、
別のものではないんだということがわかります。

ほとんど一本のねじれた紐のようになったぼくが水を切り、空気を切って、
いつの間にか、水も空気も細かい粒子となって混じり合い、
水蒸気のようになった状態を全身で感じています。

そのねじれた紐状のぼくを、眺めるぼくがまたどこかにいて、
その眺める意識が、
ぼくの進む方向をわざと大きく右にカーブさせ、
最初に工場の煙突と見えたもの、それはIC回路を巨大に拡大したものだったのですが、
何度もバウンドするようにそれを超えて、
さらにその向こう側の真っ青な青色のほうへ進んで・・・行きます・・・

(続く)






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