お や お や

10月

私の宝物

 
 
 我が家には小学5年生の姉のYと年長のRがいます。Yは別の幼稚園でした。100と0ぐらい違う幼稚園を経験するとは思ってなかった私ですが、本当にRがむらさきに出会えて良かったと心からうれしく思ってます。1才半頃からかなりのヤンチャでまだ離乳食のやわらかいご飯を床にぶちまけて砂遊びのようにぐちゃぐちゃにして遊んだり、私が少しうたた寝をしてしまった5分の間に5Lのウォーターサーバーの水を全部出していてキッチンは水浸しに・・・タオルが何枚あっても足りず拭けば波のように帰ってくる水を泣きながら拭き続けたのを思い出します。そんなRは、2、3才になっても相変わらずで言葉を話し始めるのも遅かったりとにかくじっとできない子で公園に行くと見失いそうなほど走り回るし順番を待つという事もできずすべり台で前の子を押してしまったり、何の悪気もない様子で順番を抜かしたり私はとにかく付きっきりで「押したらダメ!順番!」子どもには「ゴメンネ」その親には「すみません」と謝るばかりでした。スーパーでは何度もいなくなりカートに座ってるにもかかわらずほんの数秒で自ら降りすごい速さで走って逃げ回り私は自分のかばんをその場に投げ捨てて思いっきりダッシュをして追いかけた事もありました。そんな日々が1年は続き私自身がしんどくなり公園もスーパーもRを連れてどこかに行くのが嫌な時期もありました。そんなこんなで気付けば入園が近づき、何も考えずYと同じあかねに入れるつもりがそううまくはいかず・・・初めは落ち込みどうしたらいいか分からず色々とアドバイスをもらいRに合った幼稚園を探すという所にたどり着きその中でむらさきへ見学に行き不安と心配の中、園庭開放に何度か行き、そこで山口先生に声をかけて頂いて色々とお話をし、涙が出そうになりました。こんなに子ども目線で向き合いそれでそれぞれの個性を大切にし、広い心で見守ってくれるそんなステキな幼稚園があったんだと感動しそんな幼稚園にRが入園できる事に喜びと感謝でいっぱいでした。そしてRの園生活が始まり、最初はバスから降りるなりリュックを背負ったまま遊具で遊び出したり朝の用意も全くせず年長さんや同じクラスの女の子達がいつも手伝ってくれていました。そんな年少が終わり年中になると急に出来る事が増え年少の1年間毎朝バスにのるRにわざわざ後ろを向いて元気に「Rおはよう!」と言ってくれる運転手の??田さんに1回もあいさつしなかったRが年中になり「今日からお兄さんやし??田さんにちゃんとおはよう言えるよな?」とバス停に向かって歩いてると初めて「うん!おはようする!」と返事をして、いざバスが来て乗る時に??田さんを見て「おはよ!」と声は小さかったけどしっかりあいさつができ私はすごくうれしかったのを覚えてます。毎朝言い続けてもできなかった事が少しのきっかけでできるようになりそれから毎朝言えるようになり、今では一丁前に片手を上げて生意気なあいさつをしてます(笑)毎朝こりずに言い続けてくれた??田さんに感謝してます。そんな良いスタートを切って始まった年中はRにとってとにかく急成長の1年になり身の回りの事が自分でできるようになりなかなかできなかったおしっこもできるようになり同い年の子よりは全部遅いけどRのペースで今年長もがんばってます。そんなRですが目で見た物の記憶力がすごくて小さい時は国旗を200ヵ国は覚え、最近はバスや車を乗る事が多いので道を覚え出し5月末私が町内の役員の用事で10分程家を出るからYに「R見といてや!」と声をかけRにも「すぐ戻ってくるから待っててや!」と言い15分後家に戻るとRはいなくなっていてYの悲壮な顔がその場の状況を物語っていました。私は大声で「見といてって言ったやん!」と怒鳴り同時に大号泣しご近所さんやYの友達の前で取り乱しました。その時頭をよぎったのはRの道の記憶力。迷いながらも警察に電話をし私は家にいてと言われ動けずにいるとご近所さから友達へといっぱいのママやパパまで伝わり大勢の方が探してくれ私も30分遅れで動き出し1時間半自転車を漕ぎ続けても見つからず夜が近づき本当にヤバイと思った時「お母さん見つかりました!」と言われ声を上げて泣きました。私はこの時初めて自分は死んでもいいからRが無事で生きてて欲しいと思いました。この経験で自分の命に代えてでも守りたいと思えたRは私のかけがえのない大切で大好きな宝物です。



このウィンドウを閉じる