お や お や

6月

娘の成長と母の思い

 
 
Yは二歳のプレイルームから、むらさき幼稚園にお世話になっています。最初は言葉も話せず、お友達が楽しそうに遊んでいるのを笑顔で遠くから眺めて過ごしていたのが、今は仲の良いお友達を誘って一緒に遊んだり、難しいかなと思うようなことに挑戦したり、また、自分の思いも少しずつお友達に伝えることができるようになってきたりと、先生からの毎月のお手紙でも、着実に成長していることを感じています。
 家でのYは、腕の中におさまる大きさのくまのぬいぐるみを「くまちゃん」と呼び、時にはお友達、時には妹や子どものように一緒に遊んだり、出かけたり、並んで寝たりと、一日中一緒に過ごしています。幼稚園に行く時も一緒に連れて行き、バスが見えると「くまちゃんバイバイ」と私に預けます。帰ってくると玄関で「くまちゃん泣いてなかった?」と私に尋ね、「泣いてなかったよ」と答えても、くまちゃんを迎えに行き、抱っこして私のところまで戻ってくると「くまちゃん、Yがいなくて寂しかったって泣いてるよ」と、よしよししながら話します。くまちゃんのお腹が空けば、ご飯を作って食べさせ、怪我をすれば手当をし、自分が自転車に乗る時にはカゴに前向きに座らせて景色を見せてあげたりと、その時々のくまちゃんの思いに合わせた、Yとくまちゃんの世界が繰り広げられています。その世界の中に私も誘われますが、Yの思い描いている状況に合わせた受け答えができないことが度々あります。そのような時にYは、「違う」とすぐに言葉にせず、そうではないということを、くまちゃんの様子や思い、様々な理由を私とやり取りしながら自分の思い描いている答えに導いてゆきます。そのやり取りにも成長を感じています。また、今年の初め、私の弟のお嫁さんの誕生日にお祝いのメッセージを送ろうと動画を撮り始めると、くまちゃんを自分の胸の前で抱えて動かしながら、自分とくまちゃんの声を交互に変えてメッセージを話す様子に、こんなこともできるようになったのかと驚いたこともありました。くまちゃんのお世話をする様子を見ながら、『子は親の鏡』という言葉の通り、反省することもありますが、Yに実際に妹や弟がいれば、優しいお姉ちゃんになっただろうと想像し、この優しさを持ち続けて欲しいと願っています。
 もうひとつ、Yとの関わりの中で私が感じていることがあります。私はもともと積極的なスキンシップなど子育てで大切と言われる愛情表現が苦手です。私の親もスキンシップを積極的にするタイプではなかったということも影響していると思います。Yが年少の頃、Yへの愛情が足りてないのではないかと感じ、寝る前にギュッとハグをして寝ることにしようと試みたことがありました。数日は頑張ったのですが、そのハードルは私には高く、途中であきらめてしまいました。私のぎこちなさをYも感じていたように思います。でもある時、「かあちゃん大好き」と抱き着いてくるようになりました。「かあちゃんもYが大好き」と返します。最初はその言葉も私の愛情が足りていないということをYから突き付けられているように感じられ、複雑な思いもありました。でも今は、私から能動的にできないことをYの方から行動や言葉にしてきてくれるので、それに返す形で大好きと表現させてもらえているのだと受け止められるようになりました。実際にYから少し照れくさそうな表情で「かあちゃん大好き」と言われれば、とても嬉しく、その気持ちを持ってYにも「Yが大好き」と答えられます。ぎこちないハグよりもきちんと私の気持ちのこもった言葉や行動は、Yにも届いているように思います。
日々の生活では反省することも多い母親ですが、どのような私であっても、かあちゃんでいさせてくれるYに私の方が甘えているのではないかと思うこともあります。でも、園長先生の『無理せず、そのままのお母さんで』という言葉のように、私自身が無理せず、私とYなりの親子の関係を築いてゆきたいと思います。




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