お や お や

3月

Aの記録

 
 
 「主人が単身赴任になっても”寂しい”が吹っ飛ぶくらい沢山の子どもと一緒に賑やかに過ごしたいなあ~」
 先日屋根裏で探し物をしていた時、そんなことが書かれた数十年前の日記を見つけました。そういえば、結婚して間もない頃、ひょんな事で不妊症だとわかり、ものすごく落ち込み、子どもが授かりますようにと願いました。そして、主人の仕事上、いずれ単身赴任生活が始まる時が来るんだと将来のことを不安に思ったりしていた頃書き留めた日記だと懐かしく思い出しました。そして今、私は五人の子の母となり、日記に願っていたような人生を送っているのです。
 Aは五人姉兄の四番目に私を選んでやってきてくれた子です。産まれた時はとても大きな声で泣き、さすが四番目!アピールが凄い!と同時に力強く握った拳が印象的で命の意志を感じたのを覚えています。姉や兄はかわいいといって手荒な愛情全開でAの成長の手助けをしてくれました。しかし、Aが大きくなるにつれかわいいだけの存在ではなくなってしまったのか、姉兄間では遠慮のないケンカが繰り広げられる毎日に私は驚き、どうしたものかと悩む日もありました。(今も継続中)そんなAもむらさき幼稚園へ入園し、沢山の思いを感じる体験をし、過ごしているようです。
 入園当初は、私と離れてバスへ乗ることを嫌がり無理に乗せてもらった時もあれば「休ませます」と言ってバスを見送ったこともありました。朝起きてくるAの様子をみて、バスに乗るまでのやりとりを今となっては懐かしく思い出されますが、幼稚園へ行ってくれず時間をかけて見守っていく中で「これでよいの?」と不安に思い母としての自信を見失う日もありました。
 赤ちゃんの頃は私が手助けすることで成長し、生きてきましたが、年長さんともなると少しずつその手助けをサポートへ移行しなければいけないことは分かっています。しかし、その手助けとサポートのバランスが子どもによって違っていて悩んでしまいます。子どもが自分の力で成長する可能性を信じきれず私が都合の良いように舵をとるような子育てになっていたのだと思います。
 年中さんの時には少しずつ緊張もほぐれ、先生やお友達に心を許し、お友達を見て自分もやってみようと雲梯やキッシーを楽しみ、出来た事に自信をつけていきました。
 憧れの年長さんになると自信もたっぷり、言葉も大人顔負けな喋りっぷりなのに、遊びたくない、嫌だ、という事はお友達になかなか言えず、チック症状が出ていた日もありました。家に帰ってくると「遊びたくないけど遊ばなあかんねん」というので私は、「そうか、遊びたくないのか、こっちの遊びやりたいなぁ~とか言ってみたら?」と話していました。そうは言っても毎日幼稚園はあります。Aも心の中に嫌が沢山たまり耐えられなくなったのか、「朝バス降りてそらのクラスまでお友達に会わないように行けたらいいねん」とか「隠れとくねん」等といって行動に出るようになりました。そしてある日、遊びに誘われた時「嫌や」と伝えられ、それをきっかけに少しずつ自分の気持ちを相手に伝えられる事が増えたようです。このお友達との関わりはまだまだ続きがありそうですが、人は一人で生きることはできません。他人との交わりを認め、受け入れながら生きる社会的な動物だと思います。感じて感じて行動してもてまた感じて。Aの人生です。しっかりと自分の気持ちを味わい自分の足で行動し、自分らしく生きてほしいです。幸せは自分で作り上げていくものだから。そうむらさき幼稚園でまなびました。
 そして思うのです。担任の志賀先生や他の先生方がそっと見守ってくれていたり周りのお友達が関わってくれるおかげで今のAがあり、私もまた母としての自信をより深く持つことができたのです。むらさき幼稚園に関わる全ての皆さんとのご縁、出会いに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 そして、これからも宜しくお願い致します。




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