お や お や

3月

子どもに厳しく

 
   私は子育てするようになって常々思うようになったことがあります。
若い頃、身勝手な人に対して「あの人は他人に厳しく自分に甘い人や」と人が言うのを聞いて、そうなってはいけない、逆の人になろうと思っていました。つまり「自分に厳しく人に優しい」こと、それを学生の頃は疑わず目指していました(できているかはともかく目指していました)。
しかし歳を重ねるにつれて、「自分に厳しく」の「自分」て何や、それが難しくなりました。
それまでは人に迷惑をかけないように自分が端っこにいたら済んでいました。他人のミスは目をつぶれば良いと思っていました。
でも会社に入ると同僚や後輩の気持ちを優先してばかりいたらお客さんや他の仕事人に迷惑をかけるので注意しなければならないし、子ども連れになると、走り回りたい子どもも一緒に束縛しなければならないのです。自分を律することを、同じレベルで子どもにも要求していて、もう全然子どもに優しくないのです。人に優しくを優先すると、厳しくする対象は自分だけでは足りなくなって、結局、自分ではない誰かにきつくなったりする始末。そういう自分理屈の破綻を、子どもを幼稚園に送った帰りなどにつれづれ考えていました。

今、年長のAと年中のTをむらさき幼稚園に通わせています。
Aはいきなり年中からの入園だったので、しろさんは経験せず仕舞い。年少として幼稚園に通うはずの一年を、親が側にいる安心の家で気ままに過ごしていました。年少の園生活を経験した貫録のある子どもたちの中に急にAは放りこまれて、さぞ心細かったと思います。Tにばかり手をかけてしまい、Aの繊細さに対処しきれていないという後ろめたさがあり、それを繕うために一年余分に家で過ごさせたのですが、そのせいでAには年中で入園という唐突な試練を与えることになってしまいました。Aにとって最初の数カ月は辛いものであったと思われます。毎日嫌がりながらの登園で親と離れられず、親も結局付きあって園内でAの園生活を見て過ごしました。
私も園内にいると、Aが年長のおにいちゃんたちにきつくあしらわれているところや、子ども同士のしきたりを知らないでいるせいでコミュニケーションがずれて苦労しているところなどが目に映り、私にも共に気の重い数カ月でした。
ただ、先生方の心配りが深く、子どもを思う気持ちが真実であり、また「子どもの子ども同士の関わりによる試練は、子どものためになる」という、幼稚園及び親自身の信念があったため、A自身で何とかするだろうという信頼で親の心配はある程度薄らぎました。
そして辛いことがあれば、先生が抱っこしてくれる、そんなことを繰り返して、幼稚園のしきたりを学んでいったA。
幼稚園で子どもらしい「おてつだい」をしたいという願望が出てきて、椅子を並べたりおもちゃを片付けたり、「おてつだい」願望をたくさん満たしている内に、嬉々として幼稚園に通うようになりました。
 素朴な願望で生きているA。私は周りばかり優先して、Aの素朴な願望を後回しにして制限しますが、Aの願望はいつも世界を変えるほど良いものかもしれないし、そうでなくてもただ可愛いです。かっこいいポーズがしたい、おやつが食べたい、色んな玩具で遊びたい、いつまでも空想にふけっていたい、そういうAに、そんなに厳しくしたくないなあと今日も幼稚園に送った帰り、歩きながら思いました。




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