お や お や

1月

楽しかったむらさき幼稚園

 
   むらさき幼稚園を知ったのは、Tの九つ上のお姉ちゃんSのために幼稚園をさがしていたときでした。たまたま参加したオーガニックの料理教室で「むらさき幼稚園はいい幼稚園よ」と聞いたのをきっかけに、むらさき幼稚園に決めました。年長のときの運動会では「なぞなぞ競争」という競技を提案するなど、発想力豊かな子に育ってくれたと喜んでいました。
 小学一年生のとき、担任の先生が怒ると「幼稚園に戻りますか」という先生だったようで、「戻れるものなら戻りたいわ」とSが言っていたのを思い出します。小学校に入ってしばらくして「どうしても幼稚園の粘土教室に通いたい」とお願いされました。
 小学三年生のとき、Tが生まれました。歳の離れたお姉ちゃんで、よく手伝ってくれて助かりました。赤ちゃん返りとかはないだろうと思っていたのですが、夜に泣きながら階段を降りてきたり(朝に聞いても覚えていない)、Tの夜泣きで目が覚めてしまうのに「Sちゃんも、ここで寝る」と言うので、一階リビングで3人で寝たりしていました。
 Sは外遊びが大好きで、いつも友達と外で遊んでいました。ある日、個人懇談で「忘れ物が多いです。漢字テストも三十点の日もあります。」と言われてしまいました。夫も私も「小学生の間は、そんなに勉強しないで元気に遊んでいればいい」という考えだったのですが、「さすがに三十点はどうしよう」と国語の教室に通うことにしました。通いだして結構すぐに「クラスで1人だけ百点だったー」とうれしそうに帰ってきました。
 Tがニ歳のとき、Sと同じようにリトミック教室に通いました。お姉ちゃんは、先生の言う通りに動く子でしたが、Tは親子で手をつないでスキップするところを母の手を振り払って走り回っていました。三歳からは座って鍵盤の練習をするので、Tにはしんどいかなと思いリトミック教室をやめて、むらさき幼稚園のプレイルームに通うことにしました。Tは何度言っても近所のイオンで走ったり、駄々をこねて靴を二階から一階へ飛ばしてしまい謝りに行ったこともありました。いつか人に怪我をさせてしまうのではないかと心配でした。プレイルームでも人の玩具を取ったり、「いただきます」をしなかったり、我が子の悪いところばかり目に入ってきました。そんな中、長門先生が「今、Tくんすごく良い解決したよ。見てた?」と言ってくださいました。私にはTの良いところが、ほとんど見えていなかったことに気がつきました。
 そんなTも年長になり、「なぞなぞ」を言っているのに気づいて、なぞなぞの本を買いました。お姉ちゃんのときの本はボロボロになって捨てたので、適当なのを買って一緒に読みました。お姉ちゃんのときは、すごく興味を持って自分で読み込んでくれたのに、Tはあまり興味を持ってくれないと思いました。その辺にポイと置かれた「なぞなぞ」の本をお姉ちゃんが読んで、「お母さん、この本全然おもしろくない。あの本は滅茶苦茶おもしろかった。売り切れてたとしても、同じ出版社のを買うとか…」と言われました。ネットで同じ本を探して買うと、Tも自分で読んで「なぞなぞ」を出題してくれるようになりました。
 実はTの幼稚園を考えるときに、少しは勉強をする幼稚園にした方がいいのではないかという話になりました。でも、お姉ちゃんが「むらさき幼稚園はすごく楽しかった。」と言ったので、「むらさき幼稚園にしよう」となりました。母の目からすると、お姉ちゃんは幼稚園のとき少し辛いこともあったでしょう?と思うのですが、そんなのあまり気にしていなくて楽しかったそうです。きっと楽しいことを見つけて遊んでいたのですね。子どもたちには、大人になっても楽しいことを見つけていってほしいなと思います。




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