お や お や

10月

キャッチボール

 
 朝食の席ではしを両手に一本ずつ持ち、お茶碗やお皿をチンチンと太鼓たたきし始めたT。お行儀わるいなーと声をかけても、面白くて続ける内に、案の定、牛乳の入ったコップをたおし、テーブルは牛乳の海・・・。みんなにあーあ・・・やっぱり・・・と静かに言われた途端、兄だけに向かって「あんたに言われたくないワー。」と言い放ったT。思わず父も母も大笑い。同じセリフをいつもTに言っていた兄は、Tに一本とられ苦笑い・・・と、夏休みの「ひとこまにっき」に書いたエピソードです。
 我が家では、こういった食卓でのやりとりが、この頃本当によくみられる様になりました。
 そう、この「やりとり」が、入園して約半年間のTの、いや我が家の穏やかな変化の一つといえます。
 それまでは父・母・兄のやりとりを見、聴きはするものの、加わるタイミングや話題には今一つ従いて行ききれず、全く違う方法で(無理矢理自分の好きな事をしゃべって割り込んだり、抱きついたり、遊ぼうと手を引いたり)自分の存在や意志を主張する場面も少なからずありました。生れた時から五才上に兄がいて、親の目も手も一人じめできない中で、思いを伝え願いをとげなければならないのですから、それはそれは必死です。
 でもこの半年で、言葉や態度で家族と確実なキャッチボールをするようになったと感じます。今までのやりとりは例えれば、投げた球がコロコロと転がりそれをこちらが拾ったり、こちらが投げた球をうけ損なったりというイメージです。この頃は、しっかりとグローブに投げ込まれ、こちらの球もきちんとキャッチしてくれます。
 今朝もまた、兄と二人で何やら食べ終えた皿数争いをしながら朝食を食べていました。
 またある夜の寝る前の読み聞かせの時、Tが一冊の絵本を持ってきて「゛(濁点)」を全てつけて読んで欲しいと言うので、ぎこちなく全て濁点にして読み進めると、私の両脇にTと兄が寝転び大笑い。その内に「たいへん、たいへーん」というセリフの場面で「だいべん、だいべーん!」と読んだものだから、さあ三人で大ウケです。Tは母や兄につられて笑っていたのですが、その意味を知ると大はしゃぎで大喜びでした。
 先日は外食の後、ぶらりぶらり家族で歩いての帰り道、父親としっかり手をつないで満ち足りた表情のTが、「ねえ、お父さん、永岡先生の手はね、フワフワなんだよ。」と言うのです。言われた父は内心、「え?ってことはオレの手は・・・」と瞬間思ったにちがいなく、一瞬の戸惑いの後「そうかあ・・・。」なんてやりとりをしています。園での出来事は、ほとんど家では話さないTなのですが(ちなみに兄もそうでしたが)、この時は余程、満月の下、お腹も心も満ち足りてあたたかだったからこその思い浮かんだ打ち明け話だったのではと、母は感じ入りました。きっと園でも毎日言葉や体でいろいろなキャッチボールを繰り広げているのだろうと思います。その容赦ないやりとりが、Tの、ひいては我が家の変化を生み、うながし、きたえてくれているのだとつくづく思います。
 家族の様相は日に日に変わるといいますが、本当にそうだと感じます。長男が生まれ、そしてTが生まれ、家族は四人にまで成長しました。四人になってからも、四人のやりとり、キャッチボールは、一方通行から相互通行になり、転がし球から投球になり、お互いの思いを伝え時にすれ違いながらも、いいバッテリーになってゆきたいと互いに願いながら過ごしてきましたし、これからもそうしてゆくのだなと思います。
 これが人と人とのきずな、なのかなと思うこの頃です。
 そして今はまだたどたどしい本物の野球のキャッチボールも、近い将来Tに押されながらも受けてみたいと楽しみな母なのです。



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