お や お や

9月

失敗は成長のもと

 
 Kはアメリカで生まれた。この頃のKの関心事といえば、「すべりだい」で、午前中にたっぷり公園で遊んだあと、一緒にお昼ご飯を食べ、お昼寝をして、再び別の公園へ行くという毎日を送っていた。郊外の自然いっぱいな場所で、夢中で遊んだ二年半だった。
 帰国の際、一番心配したのは、「アメリカに戻りたい」と言われたらどうしようということだった。けれど、帰国してみるとそれはただの杞憂に終わった。目に入る日本語の看板、道行く人の話す言葉、そして阪急電車・・・Kにとっては「こんな世界あったんだ」とすべてが魅力的なようだった。帰国して一週間が経ったころ、近所の公園で遊んでいると、世話好きな小学生の男の子がKに木登りを教えてくれた。その時の表情がとても嬉しそうで、他の子との関わりを持つ機会を増やしてあげたいなと、以前から気になっていたむらさき幼稚園のプレイルームの見学に行くことにした。見学の日、門を入ってすぐ、先生方の爽やかな挨拶と、平屋の屋根から園庭に吹く心地よい風と、そして絵本を読んでもらう子や砂場で何やら穴掘りをしている子どもたちが、なんだかとっても自然に見えていいなと思い、すぐ入会を決めた。
 入会後、母にとってはつらい日々が待っていた。お友達をおもちゃでたたく、投げる、噛む・・・これまでのKと違うような気がして、どうしたら良いか分からなかった。そんな中での癒しといえば園庭で、ショベルを使おうとしても大きい子に「あかん」と怒られたり、やったらやられたりもする空間は、同世代の子といる時より安心していられた。そんなことも経て、心なしか少し手を出すことが減ったような気もした。
 いよいよ入園の年。母は毎日うさぎ小屋に獰猛なライオンを送り出すような罪悪感を抱えていた。お迎えに行くと、「これKちゃんにやられてん・・・」と腕についた歯型を見せてくれる女の子。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。Kも罪悪感を抱えているのか、何かあると自転車での帰り道、後部座席から「きょう〇ちゃんかんだ。〇〇もたたいた。」と報告してくれた。前で自転車をこぎながら、母は泣いていた。この頃は自分の気持ちの処理で精一杯で、Kの気持ちを分かってあげられなかったと思う。二学期の中頃くらいに、Kからの報告もあまり聞かなくなった頃、れもんさんやももさんの部屋でよく遊んでいると教えてくれた。後で知ったが、好き放題していたせいでクラスメートから遊んでもらえなくなっていたらしい。私の知らないところでいろいろあったことを知り、自分なりに毎日楽しみを見つけて、休まず行っていたKは偉いなあと思う。ある日お迎えに行くと、大声で泣きながら、いつになく取り乱しているKがいた。そして、一生懸命髙尾先生の胸で気持ちを落ち着けている姿を見た。後から話を聞くと、一番で帰り支度をし、迎えの部屋で待っていたところ、お弁当箱のしまい忘れを先生に指摘され、再び戻ったら自分の一番の場所が既に他の子の場所になっていたらしい。今までなら、自分の場所を取った子に感情をぶつけていたであろうKが自分で感情を処理している姿を見て、母は大いに感動した。
 そして、れもんのくみに進級。登園初日、れもんの部屋に入ると、きちんとロッカーにカバンをおいてお手紙パッチンをする姿にまた感動。その後もいろんな先生から、「Kちゃん変わりましたね」と言われて嬉しくなった。生活にも慣れてきて暑さも出てきた六月。これまで先生にいいところ見せたい、大好きな友達ともっと仲良くなりたいと頑張りすぎたのか、溜めこんだ気持ちを吐き出すように荒れるK。今は自分の気持ちをどこまで出すのか、どうやったらうまくいくのかを試行錯誤しているのだろう。母もKの葛藤を受け止めてあげられるように試行錯誤中である。
 これまでたくさんの失敗をして成長してきたKと母。失敗しても許してくれる子どもたち、一生懸命に向き合ってくれる先生方、そしていつも優しい眼差しで見守ってくれるお母さん方に心から深く感謝したい。



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