お や お や

2月

大きな木の根っこ

 
 我が家には小学一年生のAと年少のRがいます。Rは入園前から、突然「ドラえもん描いた!」と言って青いペンで目の周りや顔の周りを丸で囲み髭を描き、服の上から鈴と四次元ポケットを描き、後は全身を青で塗りたくりドラえもんに変身したり、「この履き方がいい!」と左は長靴、右は草履など左右違う種類の靴を履いて出掛けたり、外に一歩出ると何故か誰に話しかけられても“無言”を貫き一言も喋らず表情も変えず“無”の顔で過ごす謎のブームがあったり(左右違う靴を履くブームと、この“無”のブームは一年以上続きました)、だけど色んな人から「Rちゃーん!」と名前を覚えてもらって話しかけられて、親バカですが発想がとても面白くて、自由で、人を惹きつける魅力的な子です。
 ただそんな半面こだわりが人一倍二倍強く、些細な事でも家で一度スイッチが入ると一日中癇癪を起こし止まらず、わたしも精神的に辛い時期が長く続いて幼稚園に行っては山口先生に半泣きになりながら話を聞いてもらう事も沢山ありました。
 そんなRも四月になり、親と離れて過ごす時間が出来ました。もともと兄に付いて毎日のように行ってた場所でもあり、本人も特に行き渋りもせず、わたしも二人目という理由から安心して送り出す日々が続きました。
 入園して二週間が経った日、バスから降りて来て抱っこすると小さな声で「今日ママを探して、、いなかって、、泣いちゃった。」と言われました。どうやら御忌会のコーラスの練習が遊戯室で行われているのを目撃し、入園前の一年間一緒にコーラスの練習にたくさん参加していたのを思い出したのか、「ママがいる!」と和室までわたしを探しに行ったみたいです。そして幼稚園で初めて泣いてしまった…と説明してくれました。長男も四月から初めての小学校で、「学校に行きたくない。」と毎朝行き渋りをしていたこともあり、わたしの頭の中は自然と長男の心配でいっぱいだった事にやっとその時気が付きました。「Rからしたら何もかも初めての事ばかりで、慣れた場所とか関係ないよな。今まで寂しくても気を張って頑張ってくれてたんやな。」と反省しました。
 その日からたまに「今日お休みしたいなぁ。」と言う日もありましたが、お友達も出来て徐々に慣れ毎日泥だらけで帰ってくるようになりました。洗濯は大変ですが楽しそうに遊ぶRの姿が目に浮かぶので、とても嬉しかったです。
 二学期になったある日「さぁ寝よか」と布団に入った時にRが「明日も幼稚園で思いっきり遊ぶじょー?」と言いました。そしてまた別の日はバスから降りてきていつも通り抱っこすると「今日いーっぱい遊べて楽しかったなぁ?」と泥の付いた満面の笑みで呟きました。Rからしたらそれぞれ何気ない一言だったと思いますが、年少の一年間は何も考えず無我夢中でただただ身体いっぱい遊んで帰ってくるイメージだったので、客観的に「思いっきり遊ぶんだ!」とか「いっぱい遊べた!」と理解している姿にびっくりしました。
 長男の卒園式の日に、幼稚園で過ごした三年間は親からするとあっという間だったなぁと感じました。でもきっと子ども達は毎日全身全力で遊んで、時には友達とぶつかって泣いて怒って笑って…自分を表現してとても濃い毎日だったのかな、とも思いました。小学校で沢山の決まりがある中で毎日机に向かって長時間勉強を頑張っている長男を見ると、むらさき幼稚園で過ごした自由自在の保育の三年間はとても貴重で大切な時間だったとひしひし感じます。
 まだ家での癇癪は現在進行中です。でも長男がすっと間に入ってくれたり、Rも前みたいに一日中泣き続けるのは少なくなりました。毎日お友達と先生と全力で遊んで、家に帰ってほっと一息ついて、「また明日も遊ぶぞー!」と気合を入れて、、そんな日々を過ごしながら園長先生が話してくれた『人生』という名の大きな木の、見えないけれど土台となる根っこの部分をむらさき幼稚園の三年間で太く長く強く自分で育てていってほしいな、と思います。




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