お や お や

11月

兄になる

 
 心配や不安は、あまり表に出さない方です。でも母のおなかが見たこともないほど大きくなってきたり、まわりから「おにいちゃんになるねー」なんて言われると、さすがに何か目に見えて不安を訴えるのではないかと思っていました。しかし園では変わった様子はない、とのこと。案外ちゃんと自分の中で気持ちの整理ができているのか、それともよく分かっていないのか、私の心配のしすぎかと少しホッとしていましたが、ある日突然「ママはだれがいちばんすき?」と。「Oちゃん!」「次は?」「おなかの赤ちゃん」「次は?」「大福ちゃん(飼っているハムスター)」「次は?」「えー…パパ?」こんなやりとりが日に日に増え、こたえるのが面倒になるほど何度も何度も聞くようになりました。ちょうどその頃、園に行ったついでに「O、さいきんまいにちないてはる」という噂も耳にし、あぁやっぱり気持ちが不安定になってるな と。「大丈夫。赤ちゃんが生まれても、なーんにも今までと変わらへんで。」と言ってやることは簡単でしたが、赤ちゃんが生まれてからの生活がどうなるか、その頃私にも全く想像ができなかったし、今までとなーんにも変わらない…はずもない。気休めの言葉はすぐに見抜かれるので、私にはただ、聞かれるたびに「一番すきなのはOちゃん」と言い続けることしかできませんでした。
 「あかちゃんうまれたら、ぼくのこときらいになる?」一度だけOがもらした精一杯の不安の声です。毎日何度も「一番はOちゃん」と言い続けることで、Oの不安が少し和らいでいるのでは と思っていた私はびっくりして、「そんなわけないやん!」「なんで?」「え……あかちゃん言葉通じひんやん?Oちゃんには通じるやん?Oちゃんとはおしゃべりできるけど、あかちゃんは何言ってはるか分からんから。」自分でもよく分からない説明を、Oが納得するはずもなかったのですが、「そんなわけないやん」と繰り返す母の動揺を見抜いてか、それ以来同じことは聞きませんでした。おなかの赤ちゃんが生まれても、大切な宝物が一つ増えるだけで、Oちゃんをきらいになるはずなんて絶対ない。子どもが二人になってみて初めて体感した気持ちを言葉にするとそういう事なんですが、それも後の祭り。その時の母の0点に近い返事のお陰で、Oはたっぷりの不安を抱えたまま弟を迎えることになりました。
 出産の日、朝から見覚えのある鈍痛があり、念のため登園前のOに「もしかしたら今日生まれるかもしれんから、生まれそうならじぃじに迎えに行ってもらうしな。」と行ってバスに乗せました。後から聞いた話によると、登園したOはずーっとソワソワ、ほかのお母さん方にも「ママがおなかいたいっていっててんー。」と報告してみたり。自分がママの二番目に降格するかもしれない不安を拭えないまま迎えた「この日」にも関わらず、弟の誕生をドキドキワクワク待っていてくれていた事が、私にはとても嬉しかったです。そして出産。子どもの立ち会いには賛否両論ありますが、「何事も、経験は宝なり」という考え方の私、予定通りOを分娩室に呼んでもらいました。途中「ぼく、よってきた」(以前、新幹線で酔った時から、気持ち悪い時に「よった」と言います。)と目をそらしたらしいですが、赤ちゃんが出てくると、計測に連れていかれても付いて見に行ったり、大仕事を終えた後の抜け殻の母と、ちいさい小さい弟の間を行ったり来たり。興奮冷めやらぬ、浮き足立った嬉しそうなOを、私は忘れられません。
 弟が生まれて5ヶ月。ようやく顔を見ると笑ってもらえるようになったOは、弟が可愛いくて、嬉しくて仕方ないようです。自分以外の子どもが家にくる、というOの大きな危機に私は何をしてやったらいいのか右往左往でしたが、そんな母の助けなしでも、自分でなんとか乗り越えていく逞しさを見せられ、嬉しさ半分寂しさ半分。これから何度もあるであろうこんな経験を、右往左往しつつも見守っていこうと思います。



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