お や お や

2月

彼らの成長

 
 我が家には年長児の長男・年少児の次男・一歳半の三男と、三人の男の子がいる。
 アメリカで誕生した長男は発達の遅れが見られると一歳の定期検診以降、検診に行くたびに言われていた。それは主に言葉に関する指摘であった。母はその原因を家で聞くのは日本語、外で聞くのは英語という環境と、人と触れ合う機会が圧倒的に少ないことだと考えていた。
 それでも、度々小児科医に指摘を受ければ心配にもなる。言葉に不自由をしていた母が外に連れ出し、人と触れ合う機会を用意できないためだと自分自身を責めたことも一度や二度ではなかった。
 彼にはもう一つ大きな心配事があった。ショッピングモールのプレイエリアや図書館で行われるプレイクラスに連れて行っても、親の後ろにくっついて離れないのだ。自分ではすべり台などの遊具へ行かないし、おもちゃを取りに行くこともしない。これを心配した父は、平日にできる限り図書館にでも連れて行ったらどうかと言った。母は、彼を外に連れ出さないせいだと責められているような気がした。
 そんな彼ではあったが、発達の遅れが改善される機会が訪れた。四歳になる年の春、ちょうど新年度の始まりから幼稚園に通えるタイミングでの帰国が決まったのだ。そして、幼稚園を探して最初に見学させていただいたのがむらさき幼稚園であった。ここで父母は驚いた。彼が先生や園児に混ざって砂場で遊んでいる。これは嬉しい驚きであった。
 その後、二件ほど他の幼稚園も見学させていただいたが、彼の様子と自由に彼のペースで過ごすことを受け入れていただけるとの思いからむらさき幼稚園への入園を決めた。
 四月、入園式では母から離れられなかった彼が、間もなく同じクラスの子供と遊ぶようになった。更に日が立つと、お迎えに行っても楽しそうに友達とロフトに立て籠もり帰る素振りも見せなくなった。これには大変困った。なんせ母は一歳を越えた次男を抱っこしながら毎日徒歩で通っていたのだから。
 彼の嬉しい変化はこれだけではなかった。言葉の面でも良い変化が現れたのだ。自由に遊び、友達や先生と触れ合う時間が多いむらさき幼稚園だからこそ、多くの言葉を学び、自分を表現することを身につけることが出来たのではないだろうかと母は思っている。
 幼稚園に入園以降、急激に成長した長男は市の発達相談でも発達の遅れを指摘されることはなかった。
 次男はどうだっただろうか。彼もまたアメリカで生まれ、帰国したのはちょうど1歳の時だった。
 彼の場合、手本となる長男がいたし祖父母との距離も近くなった。長男の送り迎えで幼稚園に行けば先生や園児が話しかけてくれる。長男との比較もあったせいか、発達の遅れを感じることはなかった。よく話すし、長男と同じようにあそんでいたので何も心配していなかった。
 だが、それが問題であった。そのうち、彼が出来ないことに対する母の苛立ちが表れた。それは彼の発達の妨げになっていたように思う。出来ない彼に母は苛立ち、彼が泣く。更に苛立つ母と泣き続ける次男。悪循環であった。
 ある時ふと気がついた、彼はまだ二歳であると。長男と同じように遊び、堂々と話す次男を見て、母は彼がすでに三歳になっているかのように勘違いしていたのだ。
 今では、知らない間に出来ることも増えてきた。幼稚園で学んできているのだろう。それでも出来ないことに関して、苛立つことは多い。だがそれ以降、年相応なのかと考えることも出来るようになった。
 三男はどうだろう。今のところ順調に発達しているように思う。なんせ身近な手本が二人である。幼稚園に行けば話しかけてくれる人も次男のときより多い。だが正直、今は謎だ。
 もうすぐ長男は卒園する。節目に母はいつも思う。母は無力だったと。彼らにもっとなにかしてやれたはずだと。いつも後悔と反省である。彼らはこれから、ますます母の知らないところで成長していくのだろう。母に出来ることは少ないのかもしれない。それでも、彼らが成長していく中で、自らの人生をその手で切り開き進んでいく力を身につけ、そのすべてを自身で背負う覚悟が持てるよう手助けができたらと思っている。



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