お や お や

2月

のんびり、歩こう

 
   私は子どもの頃、極度の引っ込み思案だった。園庭の端でダンゴムシを集め、自然や本、想像の世界を楽しみマイペースに過ごす日々。子どもながらに「大人はもっと明るくて人懐こくって子どもらしい子がいいと思ってるんだろうナ…」なんて思っていた。そんな私も気の合う友達を見つけ、私なりのペースで少しずつ世界を広げていったのだ。それを思うと、我が子S(8歳)とO(4歳)の何とたくましいこと!と思う。喜び、悲しみ、怒り…色んな想いを思い切りぶつける姿は母にはちょっと眩しいくらいだ。
 おやおやを書くにあたり、今回改めて気づいたのは、子ども達について「なーんにも心配してない」ということ。…とはいえ、以前からこんなに脳天気だった訳ではなく、子どもが小さかった時はもっとストイックに「一瞬だって目を離したくない。子どものためなら何でもしてあげたい」感じだった。
 長男のSは、赤ちゃんの頃から多感でこだわりの強いタイプだったと思う。「抱っこしてくれなきゃ死ぬ!」とばかりに泣き、9ヶ月まで全く地面に降りず。夜中寝ているときも、トイレも、お風呂も、洗濯干すときも、料理するときも…常に手で抱っこ。抱っこし過ぎて肩の骨が落ち、神経圧迫で一時は手の感覚が無くなった。そんな彼には食事でも一苦労。全く食べず、一度の食事に6回作り直した頃もあった。ひよっこママの私は母としての責任感と、健康面での心配でいっぱい。閉じられた世界の中で、表情もどんどん険しくなっていた。今思えば、小さな息子の必死の自己主張と、母としての私の意地の戦いのような日々だったのかも知れない。そんな中「食事の時間はやはり楽しくあって欲しい。幸せでいて欲しい。些細な事はいいやんか…」と気づき、肩の力がフッと抜けた。
 子どもの主張も至極なるほど!だったり、キラキラした楽しい発見や教訓に満ちている。え、今日靴下2枚はくって?朝ご飯公園で?んー、それもいいかも。お乳?オムツ?気が済むまでどうぞ♪そんな風に思うと子どもも何となく満足するらしく、こじれず意外とすんなりいく。今ではこっちが嬉しくなるほど(時には私の分まで)美味しそうによく食べる。 
 私が笑うと、子どもも安心して笑う。まわりも幸せ。悩み苦しんだ中から得た、実に陽気で幸せな結論…それは「私自身めいっぱい楽しんで、この子達がのびのび根っこをはれる土壌をつくって小さな幸せの種をまこう!ありのまま育っていく姿を心から楽しもう」ということだった。
 この子が色んな人と繋がって幸せに生きて欲しい。それにはまず私から…そんな気持ちで、人見知りの私が色んな場に出かけ、勇気を振り絞って知らないお母さんや近所の方に積極的に声をかけた。不思議なもので、続けていくうちに自然に馴染んで身についてくるものらしく、もはや「人見知りで…」と言ってもあまり信じてもらえなくなってきた。親だからいきなり完璧な訳もなく、日々失敗しながらも大切なものを守る中で責任を持ち、こうありたいと思うものに近づけるように小さな努力を続ける…そんな姿を見てもらえればいいのかな、と思う。子どもを育む中で、私自身が親として、社会の中のひとりの大人として育ててもらっているんだなぁ…と感じている。
 まだまだ長~く続く、ともに過ごす日々。晴れた日には「気持ちいいねぇー」雨の日には「雨もいいねぇー」なんて、ゆっくり散歩するように日々を過ごせたらいいな。走らなくていいよ、のんびりいこう。そんなに沢山荷物を持ったら腕をふって歩けない。ちょっと置いていこうか。空を見上げ、風を感じて、足元にきれいな石ころを見つけたり、お花を摘んだり、色んな話をしよう。ちょっとぼんやりしたり、みんなでワイワイ騒いだり、お友達と合流したり、転んだり、ケンカしたり…疲れたらひとやすみ。最初はキュッと手を繋いで同じ道…そのうちそっと手を放して違う道?「あっちはこんなだったよ!」って教えてくれるかな。鼻うたでも歌いながら、前を向いてのんびり歩きたい。



このウィンドウを閉じる