お や お や

2月

子どもと共に育つ私

 
 第1子をお腹に授かって、「これで人生変わるなぁ。今までみたいに勝手気ままに自分のやりたいことだけやる人生は終わりだなぁ。」「お母さんって子どもにとって、どういう存在なんだろう。私はどんなお母さんであったらいいんだろう。」と思いました。助産院に足繁く通って、お母さんになるための勉強を一生懸命しました。助産婦さんのサポートが手厚かったので、すごく楽しくてワクワクして「ずっと妊婦でいたい。」と思いました。
 元々、私は子どもを授かる前から、子どもの育ちやその環境に関心があって、様々な活動や仕事をしていました。なのに第1子が誕生して「無事、生まれてよかったね。おめでとう。後は好きに育ててね。任せた!」的に産院から放り出されて(と感じた)、「え。日本の皆さん、この子は将来を担う大切なお子さんですよ。本当にいいんですか。このあと私、大丈夫かしら。」と思ったのを覚えています。失敗は許されないのではという緊張感と、新しい暮らしに向かうワクワク感とごっちゃになっていました。
 第1子はもう12歳(小6)。妊婦期含み親になって13年目。むらさき幼稚園歴8年目、第3子が継続中。子どもの育ちやその環境は、今でも自分の関心事のトップです。しかしそんな子育ての話ですが、人から頂いたメッセージをすっと理解できなかったり、意図や意味がわからなかったり、或いは何の返事もできなかったりすることも多々あります。そういう言葉の中には、時間が経ってもずっと胸に残るものもあって、時々「あれはどういうことだったのかな」ってふと思い出したりします。
 例えば私の場合「「子どもが辛い思いをしていたら、替わってやりたい」とか「辛い思いをしないように、なんとかしてやりたい」とか、思ったことがない。」というママ友の言葉だったり。または「押し強い子は、周りの拒否反応を繰り返し体験することで、自分の思いや行動のあり方、他人の存在や他人にも思いがあることを知るらしいけど、押しの弱い子は、強い子が成長するための肥やしになっているだけではないか。」と相談されたり。
 そんな私ですが2015年は、私にとっての「お母さんって何?」の答えの1つを見出せた年でした。昔の私は、子どもにとってベストの母でありたくて頑張っていたけれど、結局子どもを自分の思い通りに動かそうとしていたエネルギーが強かったなって思います。随分ずれていたけど、そこに気が付けなかったです。でも子どもからの色々なサインが教えてくれました。母子共に痛みを伴って。でもそれをすぐにサインとして受取るには、私のこだわりが強かったし、勇気が足りなかったです。つまづく時間がたくさん必要でした。でも今は、責めるのでもなく肯定するのでもなく、体験することそのものに意味があるんだって、ようやく思うようになりました。「選択も結果も見守り任せる」とか、「あなたらしくていいのよ」とかは、私にとってとても勇気がいることだったんです。
 今でも、寝る前に絵本を読んであげたいとか、兄弟間の喧嘩は基本関知しないなど、出来てないけどやっていきたいことは沢山ありますが、子どもの体験そのものを信じて、園長先生のお話にあるような忍耐力のある、強くて優しいお母さんに近づけるように生きて生きたいです。



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