― むらさきが大切にしていること 其の二―
「学ぶ」の語源は「真似び」と「まねごと(真似事)」即ち、ままごと遊びです。「教育」というのは主に学校用語ですが、「自分で概念化すること」でそれを学校では先生が言語にしたり、文字にしたりして教えて育てることになります。乳幼児期の幼な子はいつも自分に母の目が向けられている事で知らず知らずその母の一挙手一投足を全て真似をします。ややもするとお母さんは見逃してしまいがち。なので乳幼児期から既にまねごとをして自学自習と言う体験学習をしているのです。
ままごと遊びを充分にできた赤ちゃんは現在の子ども達とは異なり小学校に入学して学校教育を受けるようになると生きる為の基礎的なこと(真似事)で自学自習しそれが体験学習となり、自分が遊んだこと全てが逞しく生きる力になるのです。小学校からの教育を受けるようになると先生の言葉や教科書の学習も素直に理解できるのだと思えます。
むらさきが開園したころの親御さんが子どもの頃はまだ電化製品もあまりなく、七輪(土で作ったコンロ)で炭を起こして煮炊きしたり、洗濯は木のタライと洗濯板で赤ちゃんや子ども達、そして家族の衣類を洗濯してくれていました。そんな母の姿の中で子ども達は育っていましたので片言の言葉が発せる頃から自分に目を注ぐ母の一挙手一投足を真似しました。又、ままごとグッズもそれらの木製ミニチェアです。洗濯板も山と谷の彫りがあり年中の子ども達が砂場でドロンコになったクツシタを洗濯し始めたのですがママになったつもりで洗い続けて石けん丸々一個使ってしまいました。手洗い用の化粧石鹸だったので手が荒れることもありませんでしたが・・・。
家事労働からお母さんを解放しようと電化製品がどんどん進化して真似る姿がなくなってしまったのです。
義務教育の中学校までは地元の学校に通いますがむらさきの卒園児達は高校以上になると自由に自分の学びたいことを選んでいます。在園時代より草ガメ(在来種)を小中高と飼育し続け、三重大学で海ガメの研究をしていたH君が大学卒業後大手企業に就職したと・・・か、沖縄の海の美しさと鮮やかな魚に魅せられ沖縄大学へ進学したり、何の図面もないのに恐竜を一枚の大きな折り紙で折ってくれたり。本来なら見えない裏側が彼には見えるのです。建築設計士が日本建築の建物の見えない部分を遠近のある立体の図面が引けるかのように・・・。それが頭の中で描けるのです。直線が無数の山と谷の線で織り成すのを園児たちは目の当たりにお兄ちゃんにまたの再会を約束して後日、たくさんの作品を土産に持って来て、子ども達との約束を守ってくれました。この四月から九州の工業専門学校へ入学するとの事でした。このように卒園児達の『学問の自由』を謳歌している話しを聞きそれは又、自分の好きな道を切り開く自由を保護者の方も応援してくださっているからこそでしょう。
乳幼児期ままごと遊びができなかった子ども達、お母さんやお父さんが元気な子、思いやりのある子、友だちを大切にする・・・など一杯の願いを抱きながら私に接していてくれたのでその素朴な親の愛を体験したのです。真似する事で・・・。更に二歳児の母子分離期(いやいや期)に自分は母だと思っているので母の手伝いを自分がすると代わったとたん失敗ばかり。母の堪忍袋の緒が切れて「もう手を出すな」と母に叱責され手を叩かれて、やっと「うっとしいお母さん・・・」と気付きました。この気づきが教えて教えられない母子分離です。「母と〇ちゃんは別の人なの・・・」と口では教えられないことを「うっとしいお母さん・・・」と体験している内に「別人」と自分で離れて行けるのです。実はこんな辛い思いをして母子分離した子ども達が主体性を存分に発揮できるためのお願いがあります。
「学問の自由」を守る為に、ご来園される保護者の方々にはお願いしております。
善意の事と信じてはおりますがご覧になる子どもの様子を園外に話さない(漏らさない)でください。特にSNS等では・・・。
「自由・自在」を自然に・・・の保育は「仏」になる保育です。悲しんだり、苦しんだりする人に勇気を与えるにはどうすれば良いかの知恵を働かせる人に・・・そしてそれを実践する人(慈悲と智慧)に育ってくれると信じていますので・・・。
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