園 長 と 語 ろ う

令和3年11月

― むらさきが大切にしていること 其の一―

 私達人間も自然の中で生まれ育ち生活する人という種であって他の動植物と同じように種の繁栄を願っているものです。父親と母親の両親から誕生し、母親は母乳が出て育児に専念し又、その育児に専念できるように安定(内面的にも経済的にも)した家庭を築くのが父親であるというもので互いが互いを認め家族全員が助け合って生活できるのが社会生活の始まりです。しかし、父と母と乳幼児の社会(三人以上で成立)では子どもの意見は通りません。そこに舅・姑のどちらか一人でも加わると大人だけで社会が成立しますので公正な意見を子どもにしてやれるのです。理想的なのは兄弟姉妹が三人以上、大人も三人以上集まれば、祖父母・両親、そして子ども達三世代の大家族で知恵も力も協力し合えるから・・・。そんな平和な家庭で協力できるのが愛情の育みにもなります。愛情は豊かな感情なのですが決して与えられるものではありません。人為的に与えようとするとその行為は打算的ですので赤子は喜びでも何もなく不安で泣くばかり・・・とすぐ破綻をきしてしまいます。愛情とは育むもので互いに何の打算もなく各々思い通りの応答をし合います。

 昭和三十年代後半、阪急電車で大学に通っていましたが、赤ちゃんを連れた親子に出会う事がありその隣には初老のおばちゃんが不思議と座していて「可愛い可愛い」とホッペを指先でツンとしてみたり、母親が授乳でもさせ赤子を見ながら「おいしいね、元気な子になるのよ」などと赤子に笑顔で声かけをするとその母の姿に両手・両足をバタつかせキャッキャと喜ぶ姿におばちゃんも感動の絶頂です。角帽に襟詰めの学生(私)が吊革に立ち塞がっていても何の躊躇もなく母子の愛の育みが営まれていました。人間味豊かな日本人種繁栄の営みとでも思えたのでしょうか、今でも「気持ちが豊かにそして安らかな一時だった・・・」と思い出すものです。当時私が利用する普通電車は横一列の椅子が向かい合わせの車両でオムツを替えるとなると周り二、三人の人が立ち譲りオムツ替えの協力をしてくれるという母と赤子は周囲の大人も子どももみんなが大切にしていました。

 性に関しても開放的だったと思います。町には公衆便所がありましたが一歩郊外に出ると野原や道端で用を足すことになります。道に面した個人の家の板塀の足元に真っ赤な鳥居のミニチェアが立てかけてありました。二、三十pのものです。神様におしっこはかけないから・・・。公衆便所の男子の小用は後方には戸はなく、板のキンカクシに飛び散らない様、青杉の葉付枝がビッシリ差し込んでありました。女子のトイレには戸がありますが下と上はオープンになっていて下は三十p程を開けてあり戸の大きさは一m程でしょうか・・・。風通しを第一に考えたのでしょう。

 赤子の時から母の周りの人達から暖かい目や、声をかけられそれに対して子どもは目が自分に向けられている事で安心します。この安定は人の子として成長する一番大切な事が母の目に常に見守られている母の愛の体験を喜びとして身体全体で表現してくれる・・・。これは生涯続く母子の関係です。子どもに目を向けられる母の安定には家庭を包み込む父親の愛情が欠かせません。経済的にも精神的にも包み込む愛情です。「○○をしてあげたのに・・・」と何か見返りを求めてしまうとこれは愛情ではなく見返りを求めない行為には何でも真似したがるのが純な子どもの気持ちでそれを有する間は家族の人なりを真似できるのです。言葉が出なくても心は真似ができ、父親と同じ事言ってる・・・とか、私と同じ事してるとか、兄の姉の・・・と各々本人が知らない内に幼児は真似をしていたのです。「真似」は「真似ごと」と遊びになっています。まねごと→ままごと、即ちままごと遊びです。もう一つまねびは学ぶの語源になったほど。

 ままごと遊びがどれ程子どもを成長させるか・・・。其の二に続きます。


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