― 知恵を働かす―
知恵を働かすという事は人は困難な状況が目前にせまってくるとそれを打開しようと思案する力が知恵です。人を落としめる悪知恵は知恵ではなく、一人でも多くの人々が幸せになるにはどうすれば良いのかという人々の幸せになる願いが根本になければなりません。
日本人は大陸とは違い小さな島国です。主食である水稲を山から湧き出す水の道(水道)を手作りして丘のような山の日当たりの良い壁面を段々に縦横と区切って小さな田甫を何枚も作り、その一つ一つが水平を保ち上から下へ水が流れるように棚田は計算されています。高い山からの湧き水を棚田まで導く水道作りも含め計算尺もない昔にその大土木工事をやってのけたのです。
手作り水車を利用して水を水車の直径までの上まで運ぶことやそのまわる力(水力)を利用して脱穀したりと私達の祖先はこんな素晴らしい知恵を働かして現代に「文化」として残してくれました。
私が生まれた時は第二次世界大戦中で、日本と三ヶ国同盟のイタリアは私が生まれる前に敗れ、そしてドイツが敗れた時に生まれて、二歳四か月後に広島と長崎に原子爆弾が投下され圧倒的な物量の前に最後の日本も敗れて第二次世界大戦は終了しました。18歳違いの長兄骭サ(当園設立者)は学徒兵で淡路島の陸軍病院で療養中に終戦となり、その様子を本人は漫画で楽しく表現していましたが・・・。私は、東山三十六峰の一、紫雲山の頂上にある黒谷という浄土宗発祥の地、紫雲石西雲院で五男一女の末子に生まれました。二歳になり歩行が出来るようになりむらさきの倍もある境内地を自由に歩き廻る事も一人しかいなく兄や姉は大学〜小学校に通っていますので・・・。でも紀州犬の「勝号」、野良猫の「ミー」、野生のキツネやタヌキ。ニワトリやうさぎ(これは兄の学費稼ぎ)草花やそれに群がる昆虫類・・・。と遊んでいる内に野生と血統付きとの知恵比べや何時!何処!で手づかみできるかなどの生態まで自学自習しました。
仏教は情緒が安定すれば全て善人になれ欲望が勝ると企画とか計画とかいうくわだて(企)はかりごと(画・計)は「これで良いのか!うまくいくだろうか!と不安がつのり心は不安定になります。
幼児期は「無邪気とか無心な子」などと言われるように私を生かしてくれる母親の心眼を求める欲は本能的にありますがそれ以外の邪気といった心はないのです。
二歳の母子分離期は「あれ?私はお母さんと違うのか!」と知る時期で人生初めての反抗期です。「もう〇ちゃんは手出さなんで!」と叱ってくれる母の声にうっとうしさを感じる。これが母子分離で自分で気づく事が大切なのです。満三歳で幼児は集団生活をするようになっております。三歳の自己中心期、自己チューと言われるこの時期にこそ自己チューを発揮して、自己チュー同士がぶつかり、泣いたり、泣かせたり、たたいたり、たたかれたり、自己主張を各々が自由に出来合える環境が幼稚園です。必ず自分の思いを出す為に知恵を出します。真似したくなるAちゃんをどうすれば逃がさないか・・・やどうすれば叩かれないか・・・とそんな相手がBちゃんと二人になれば自分を入れて三人で最小限の社会です。大人がこの人がAちゃん、Bちゃんと名前を教えてもそれは認知(識)したことにはなりません。Aちゃん・Bちゃんの特徴を知って初めて他人を認知する事なのです。認知するまでどれほどの知恵を出したことか・・・。
「寄せて・・・」とか「代わって・・・」と言った大人の常識を言葉で教えると仲間を作れない子になってしまいますよ・・・。良かれと思う親心、転ばぬ先の杖を差し伸べると自分で概念化できない幼児は言葉が無用の場面でも発してしまいます。受け入れてもらえる状況ではないのです。泣いたり、笑ったり、悔しかったり、悔しがらせたり・・・の体験学習をすると自分で概念化できるようになれます。それが知恵であり幼稚園生活の全てなのです・・・。
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