園 長 と 語 ろ う

令和3年7月

― 二学期の保育方針―

 コロナ禍の副産物でしょうか、社会全体がデジタル化となり大学教育までが教授と学生が対面し各々が意見を出し合いながら互いが刺激し合って学力を高めて行く・・・。言い替えれば学び舎で師弟共々が学研者の立場として学び合う学校生活の部分がなくなりイエスorノーの二極性に分けられるので詩歌管弦(しいかかんげん)などとアナログの生活に慣れている年寄りにとっては冷酷な機械という物質的な社会を動物の本能として受け入れ難いのです。

緊急事態宣言も6月20日には解かれることですし7月下旬より始まる東京オリンピックもその関係者が入国し始めております。57年程前の東京オリンピックを初めてのカラーテレビで東洋の魔女のバレーボールを観戦して涙を流すほど嬉しかったのを鮮明に憶えており日本国中どれほど勇気付けされた事でしょう・・・。

コロナの予防接種が6月に入ってから日本国中で始まり私も先日主治医で接種してもらいました。京都府の主催で保育園・幼稚園から高校や専門学校関係の職員の集団接種が亀岡と木津で始まります。

このコロナ禍は令和元年12月に日本でも流行しだし令和2年3月の卒園式前後から休園と春休み明けて5月26日まで続き、その後2週間も分散で登園し、平常の登降園が令和3年6月現在まで続きます。コロナ禍中に生まれ育っている三歳児入園女児で東京の有閑(ゆうかん)マダムの子ども・・・?と思えるほど言葉達者に話してくれるのですが内容は今の現状とはかけ離れ言葉だけが先行しているので何の意味も無くなんと応答しようか・・・と戸惑ってしまい唯々聞き入るのみ・・・。女児もそんな大人の反応に応えられず、ファンの女児2・3人を引き連れて「どうもお邪魔しました・・・」と一礼して次の所へ移っていきました。年齢かまわず遊んでいるグループを見つけると「有閑マダム」が始まるのです。優しい年長児が「寄せて欲しいの?」「何がしたいの?」「・・・」といった声掛けをしてくれるのですがマダム遊びがひたすら続き、その「有閑マダム」グループが職員室に出没しなくなったので先生達に聞いて見ると「手立ての施しようがないので現在見守っている」との事。私は子ども自身が幼児期の生活で周りの人達が何が楽しいか何が苦しいかといった悲喜を遊びを通して自分で構築して行くその為に楽しい事、悲しい事といった相対的な感情を体験できる事、その中で判断は自分がする事(自立する)といった豊かな感情を育む生活を自由にできるのがむらさき保育なので。私達は「自由・自在を自然に」と申しております。仏教の「仏」は誰でも成れるし人間だけじゃなく生きもの全て仏に成れる・・・と説かれています。インドで釈迦(しゃか)が開かれた仏教はヒマラヤを超えゴビ砂漠を渡り中国に伝えられました。(中国の僧がインドと中国を徒歩で往復して(西遊記がその様子です)経典を持ち帰り漢語に訳されたものがそのまま日本に伝来しております。)仏を「自由・自在」と漢訳された中の一つです。和訳すると「今の私が在るのは今までの私の生き方に由る」というもので、「仏に成ろうとするなら」今を生きる生き方を自分で生きなさい・・・。お母さんが教えてくれなかった・・・とか先生が・・・とか人の責任ではないのです。有閑マダムも今仲間に受け入れてもらえない悲・苦・泣くなど閉塞された時期です。教師としての手立て、親としての手立てとついつい「〇〇してみたら」「〇〇と言ってみたら」と手をさしのべれば子どもが自覚するチャンスを奪ってしまいます。幼児は成長する事のみで生きている時期ですので試し行動を自分でします。これが遊びの本質で自動詞なので「遊ばす」とか他動詞では工夫や我慢、発見といった探求心が育たないのです。「自分で考える・・・」と信じてやってください。教えるはデジタルの世界。自分で工夫する、考える試みるはアナログの世界で豊かな心を育めると考えています。乳幼児期の学びは「真似(まね)び・真似ごと→ままごと」遊びと言われる所以で小学校ぐらいから二語文くらいの単語が概念化でき、友達との会話・先生の話される事をどんどん概念化していきます。これが教育となり学研へと成長して行くのです。その成長の第一歩は「有閑マダム」の口真似を自分で脱皮する事から始まります。(ほんとはそんな情緒が入らないのが自然なのですが・・・)


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