園 長 と 語 ろ う

令和3年4月

― 安心起(あんじんき)行(ぎょう)の保育 ―

 むらさき幼稚園の創立者 故 家田骭サのご自防くろたに山内西雲院は仏教浄土宗を開かれた法然上人(1133〜1212)が天台宗総本山比叡山延暦寺で天台密教を学ばれ当時では日本一の経典(お釈迦様の八万四千と云われる教え)が収納された経蔵に七度も籠もりそのたびに蔵書全てを読破され知恵第一の法然房と誉れ高かったのですがご本人は「愚痴の法然房」と申されてました。経典の中で阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ「南無阿弥陀仏」とみ名を称える「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三部経を拠り所としておられ、京の都人に「安心起(あんじんき)行(ぎょう)」のお念仏を広めようと比叡山を下山されました。

 途中峠を源とする白川に添って銀閣寺入山(にゅうざん)口(ぐち)あたりで鯖街道から洛外に入ります。今出川通を1qほど西下すると左に紫雲山と吉田山の双ヶ丘(東山三十六峰の二つ)があり双丘の割れ目の仙道(現在は自動車道)を南に登ると左手に真如堂(お十夜発祥の寺)の阿弥陀堂に回峰行で参拝されているので入洛されての初参拝され、その後3,40m離れた地に軽トラック大の砂岩が鎮座し形状が西に向かって下がっており足元にはその岩に腰掛けると丁度クツ掛けになるようで誰もが一休みしたくなる岩に座し、その正面に夕陽が嵐山と小倉山の間を流れる保津川に沈む時、極楽浄土から阿弥陀仏が衆生救済にご来迎されたと自然に合唱され「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」と一心に念じられたそうです。「ナマース・オミトーフ」というサンスクリット語に音写されたので漢字には意味はありません。「ナマース」は帰依すると和訳しますし、「オミトーフ」は「アミダブツ」と日本の僧は聞き取ったのでしょう。「アミダ仏に帰依します、〃」と称えられました。この黒谷の地に草庵を結ばれ洛中外を念仏の功徳を説き回られたのです。紫雲山の紫雲石は西雲院の境内に現存し、江戸時代にお堂が建てられています。

 法然上人八十年の人生、前半は天台の延暦寺で修行され後半は浄土宗の口称念仏を説かれていました。晩年は大乗仏教問答の為、奈良に何度も呼び出されておられます。天台で知恵第一の法然房の呼び名高かったので日本の仏教全ての宗派の教学となる経典はくまなく自学自習しておられますので全ての問答に応じられた事でしょう。京の都から奈良街道(現国道24号線)を奈良(大和)へと往復されたのですが、5,60qもあるので相楽組40ヶ寺、南城組、八幡組、宇治組、洛南組、伏見組の各々一部、西山浄土宗及び永観堂、東西本願寺など法然上人の弟子が開山の寺院を加えると100ヶ寺を超えるのではないかと思われます。相楽組40ヶ寺の中には伽藍が密教の修行道場のたたずまいもあります。道中法然上人のお説法を聞きたい信者が自分達の寺に集まり、ご住職共々転宗されたのでしょうか。

法然上人の教えを学びたい弟子が増え草庵であった黒谷の金戒光明寺も知恩院もその弟子たちが教団となる伽藍を建立され開山上人は法然さまで全国にある他の本山は全て弟子が開山上人となっています。

 建暦二年正月廿五日に亡くなられた法然上人は二日前の正月廿三日弟子を集め「一枚起請文」(遺言経とも言える)を記され、それには学者僧の観念の念でもなければ学問を積んで念の心を悟ったと思って申す念仏でもなく、無心(一心念仏)になって「ナムアミダブツ、〃」と称えなさい、仏に成るのはそれしかない・・・」と申され浄土宗の安心起行この一紙に至極せりと結ばれています。

 人間は安心(情緒安定)すると正しい行動を起こすというものです。無邪気とか無心に遊ぶという幼児期は生まれながらに無邪気や無心なのでしょうか。

 幼児は不安になる時、安定を取り戻す時と大人と同じような事で感情がゆれるものです。お母さんが観音様になって頂ければ子どもは安定します。「痛かったんか、悲しかったな、抱っこしてあげる」とゆりかごになってゆっくりゆれていると「もういい」とすぐ元の遊びに戻ります。あるいは「痛いの痛いの飛んでいけー」親の呪文に子どもは自分で安定させます。

 正しい事なのですが「仲間に入れて」「かわって・・・」「よして・・・」と言うのはルールを言葉で教えようとするので遊びの状況を理解しないまま言葉だけが先行すると怒りを買う事にもなりかねません。無邪気や無心は安定すると発揮できるのです。観音さまは悲しむ人、苦しむ人・・・全ての人を受け入れて悲しかったね・・・苦しかったね・・・と分かってくださるのです。仏になる為に慈悲の修行をされる菩薩だからです。『お母さんは観世音菩薩やで。我が子が悲しんだり苦しんだりしてたら抱っこしてゆりかごのようにゆれてあげ・・・』と寺にお参りの幼児を連れた母親が我が子が粗相をすると姑の目を気にして我が子に指示をするのでそんな風・・・に私の母が

言っては母子を和げておりました。

幼児によかれと思って先々に「〇〇したら・・・。〇〇と言うのよ・・・。」など大人の目で物事を教えてしまいます。子どもは遊びを通して涙や笑いを繰り返し(体験し)て自分で学習するものです。自学自習をするチャンスを奪われると場が読めず教わった言葉をむらさきで使うと決して体験学習をしている年長児は応じてはくれません。

 ブランコを一人でダイナミックにこいでいた女児が三歳児男子の「よして・・・」

とたのむのですが無視されます。代わるように声かけしようと思った時担任が部屋の前から「〇〇ちゃんお弁当にするよー」担任の声掛けで四、五人並んでた子どもが部屋に帰ったのでやっとブランコに乗れた時に「よして・・・っていうんだもの・・・」。なる程と思える理由をバス乗り場で降園待ちしている年長女児に聞く事ができました・・・。

幼稚園生活の悲喜こもごもが全て学習になるのだと分かる一場面でした。「情(こころ)」のある人間は情緒安定(安心)しないと正しい行動ができないのです。幼児の無邪気には戻れません。邪気(煩悩と言われる欲望)が募るから・・・。


このウィンドウを閉じる