― 月のねらい 十二月 脚下照顧(きゃっかしょうこ) ―
七五三参りを毎年の恒例となっている粟生の光明寺にお参りするのですが、お堂に入る時 手の消毒と障子戸は開放するという防止策でお参りできることになりました。七・五・三は「かぞえ」年齢ですので園児の三・四・五歳児は全て該当します。幼児の育つ環境は1945年世界大戦敗戦後、戦勝国米国の衛生面改善指導で幼児期に亡くなる子どもは随分と少なくなりました。戦前は七・五・三歳は幼児の生命の節目だったのでしょう。その都度 村の寺社にお詣りして元気に育つことをお願いしていたのです。
余談ですが光明寺の阿弥陀様は丈六(五メートル程)で若者のご尊顔をしておられ一段と高い須弥壇の蓮台の上から見守って下さるので機会があれば一度お参りしてみてください。阿弥陀様ですので合掌し「南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)」と十辺称えてください。安らかな気持ちになれますよ。
十一月になって夏から急に冬になったほどで一気に冬物に着替えるという中、年中の子ども達が「キャーキャー」と男女問わず五、六人のグループで部屋から職員室を通り過ぎて声が消えていきます。次のグループなのか、同じグループが一周したのか、何回か通り過ぎ静かになったと気付いたら昼食になっているのです。かと思えば素裸で担任に抱えられ職員室を通り抜け温シャワーで温(ぬく)もったのか如何にもサッパリした顔で職員室を抜けて帰って行きました。水遊びする程暖かな日ではなく職員室では家庭用の小さな石油ストーブを焚くほど…。よほど夢中になっていたのでしょう。このように園児達は夢中になり過ぎて担任の手を煩わすほどですがこれを体験しないと気持とか感情あるいは体感を得る事ができません。二学期が始まってすぐに男女二名の教育実習生が来てくれコロナ禍で出来なかった実習も変則ですがしてくれました。
男性の実習生のキャラなのでしょう。四、五人のグループで走り回る四歳児の後から大声を出すでもなくバタバタと駆けて追うでもなく、唯付いてそろそろと走っているだけなのですが…。十一月に入って年少の七五三光明寺参拝から園に着き年少児が昼食で部屋に入った頃に私がバスから降りてしろうさぎテラス側から園内を見ると大声で職員室の北側の廊下をワーワーキャーキャーと多人数の子ども達が走り抜けていました。園庭や砂場では数人のグループで年長・中と担任やフリーの先生達と遊んでいるいつものむらさき幼稚園の様子だったのです。
昼食が終わって食後の遊びを始めたり一・二コースの子ども達が降園バス乗り場に集まり出した頃、担任に私が先程見た子ども達の集団でキャーキャーと騒ぎながら走る子ども達がまるで小鳥の何百羽の集団が大空を飛翔する円になったり蛇行する川になったりと、まるでコンピューターでコントロールされている様な子ども達の走り去る様が見えた事を話すと七五三参りの付き添いから帰って来た男性実習生の姿を見た途端、唯一人誘い合う事もなく急にキャーキャーと叫びながら走り出したのだというのです。
弱者である小動物や小魚、あるいは小鳥が群れて千変万化で逃げ切る。そんな本能的な技を使える弱者の知恵をこの子ども達に「私は自然である幼児だから自然に生活の中で培った生きる力だ」と思わせたのです。
夏休み明けの九月、久しぶりの集団生活に慣れて行こうとする子ども達。中にはそんな慣らし時間は必要ないと一学期の終わり頃に遊び仲間だった数人の友にアタックするのですが、応えてくれる子どもが居なかったりすると自己研鑽にふける子もあり…二人で意気投合する事もあれば、一人加わって三人の社会になったりと十月 三人や四人と小グループがその中でも顔はいつも同じではなく、一人が離れたり二人が加わったりと遊びの違いで仲間の多様な刺激を得て良り楽しく良り面白くと向上するには悲しい事や辛い事を経験して自分で乗り越えて成長する。そして十一月には先述の七五三参りの頃の互いが助け合い協力し合って大きく集団として成長し、発揮し過ぎると十二月脚下照顧となるのです。社会の構成が身の丈に合わないほどに成長するとその概念を崩そうとします。足元を見つめ直して良り多人数でより人間社会の大変さに立ち向かう力を仲間と共に作り出す。人間社会に最も必要な事を自分達で刺激し合って作り出して行くのです。大人の概念で「〇〇したら」という助言は子どもの主体性を阻害します。大人の主体で子どもは客体(お客さん)化させるから…。
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