園 長 と 語 ろ う

令和2年7月

― 月のねらい― 五月 安心立命(あんじんりゅうめい)  六月 悉(しつ)有(う)仏性(ぶっしょう)  七月 和顔(わげん)愛語(あいご)―

 コロナウイルス感染症拡大防止により休園が三月三日〜十五日迄。十六日は年少・中の終業式が、十七日は卒園式。両方共密集、密接、密閉の三密をクリアする為、時間短縮や来賓者無し、卒園児と両親のみ参加で実施するなど。同じく四月の新学期は八日自主登園の始業式、九日入園式も三密にならない配慮の下、実施され休園は続き五月十七日より半数づつの午前保育で園内は子どもが触れる場所は全て消毒するのと園に入る時は門の所で消毒、うがい、体温カードによりチェックなど六月八日より全員の午前保育が始まり十五日より年長・中の午後保育が始まる。休園中は子どもの園生活が無いので「むらさき新聞」は休刊となり、五月・六月の月のねらいと今月号のねらいを一気に載せます。

   月のねらいは仏教園である為、お釈迦(しゃか)様の仏教四字一句の中から十二句を選んであります。仏教哲学とかインド哲学と言われ、人間として人間らしく生きる事が説かれていますので、幼児期は人間らしく生きる全ての芽を出す時期です。幼児期に付ける力の全てがこの四字熟語で表現できるといっても過言ではありません。私達人間も自然ですから自然な生活をしていれば自然で居られるのですが不自然な生活をすると。身体に不自然な現象が出てきます。最もわかり易いのは農薬です。農学部のある大学は公立の大学が多くて長泉寺の農家の長男は百姓を継いだのですが次男・三男は学費の安い公立の大学で競争率の低かった(昭和の時代)農学部に進学し昭和十六年の農地解放で小作農から自作農へとなったこともありその農地を財産分与できても生計は立てられないので、農薬の研究をして農学(化学)博士になり日本の農薬は世界を席巻する勢い。時を同じくして工場の排水や農地排水で公害と言われる薬物による子ども達の障害が現れたと思われます。私が子どもの頃には京都のどこの田んぼにもドジョウや小ブナ・エビなどの水棲昆虫が共存共栄していたのですが半世紀ほど前に強い農薬は使用禁止となり農薬業者はその農薬を東南アジアを主に輸出したのです。そのおかげで安くて大量の果物が日本で輸入されています。因果関係はわかりませんがアレルギー体質の子どもが増えているように感じますが禁止とされた農薬が使われてた間は何の水棲昆虫も居なくなり十数年前よりジャンボタニシとかオタマジャクシ、カブトエビなどが戻ってきました。農薬とか化学肥料の残留する物は川へ流れ込みます。乙訓の川は淀川の支流になりますので桂川や鴨川流域の人の口に入る可能性は高いので私達も随分注意しないと薬漬になってしまいます。特にお母さんは食べ物には十分気配りが必要です。女性は体積した薬物は生まれる子どもに移してしまう…と言われます。アレルギーとかの障害を持つ子どもが増えております。

 私達が人間らしく生きる為には生産者が判るものが最低限の判断材料になります。農協が出している「道の駅」は品物全てに生産者の名前があります。売切れたら、追加できるものは追加してくれます。無農薬とか減農薬。有機肥料使用など…。但し限られた野菜のみが…なんて事もあります。

 以前「安全農産」と取引していました。これは字の通り組合組織で生産者と消費者が組合員で週に二回、十人程あつまればその場所で注文した商品が配達されます。現在は当園の食生活に賛同された卒園児の保護者で長法寺小のPTA会長の時に立ち上げた「ヘルプ」で購入しています。日本海の漁港で直接仕入れ、又野菜は指定の農家、その他の食品は最も安全と思われるものが店に並びます。安全を守る食品はニーナの米のように人の手が掛かります。高額になります。現在の大量生産大量販売は最低限の生命しか考えられません。お母さんが子どもの身と心が豊かに育まれる事を願って頂ける事が日本の将来を担ってくれるのです。

お母さんがたにはニーナの米と一緒にすれば失礼なのですがお母さんの手が掛かるのが育児になります。手を掛けた分子どもはその喜びを身体で表現しますのでついついお母さんはそれを喜びに感じて手を掛けてしまいます。兄弟が四人・五人と多ければ末っ子以外は手を掛けられない所もあり、ほんとは一番良いのですが…。


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