― 月のねらい 一月 一切(いっさい)無碍(むげ) 二月 知恵如(ちえにょ)海(かい) 三月 発(ほつ)無上意(むじょうい)―
仏教保育を建学の精神としている私学の幼稚園や保育園では各宗派の「健やかな幼児の育ち」を願い仏教経典の中で自宗に合う四字熟語を撰び揚げています。当園は浄土経典より撰定し設立者の前理事長 家田骭サが「自由・自在(仏)を自然(じねん)に」という四字熟語を幼児期は無心に遊べる時期なので仏の心そのもの…と、自由・自在を撰びました。
無心(無我)に遊べる幼児の姿は三歳・四歳・五歳の子ども誰もが真似たくなり、真似ごと(ままごと)遊びが広がります。二人遊びから三人に広がると最小単位の社会が成立し五歳児の二学期から三学期になるとクラス全体で話し合い(父親を真似て「会議」と申しております。)
平成三十年@君はお母さんと共に週一回通うむらさきの「母と子のプレイルーム」に入会し悲しい事や痛いこと、辛いことなどに遭うと幼児の周りで見守ってくれるお母さんの膝に逃げ込むのです。ベテランの長門先生は「お母さん 無理して遊びの輪に戻そうとしないでください・・・」と優しく諭してくれます。「@くんのお母さんが帰る時間まで私の膝に居座っていて良いよ・・・」と居直ると@君は周りの子どもの遊びの誘惑を待ってました・・・とばかり、その輪に入り込み遊びを思い通りにリードしているのです。
これは浄土宗を開かれた法然上人の「安心起(あんじんき)行(ぎょう)」即ち「人は心あるいは感情が安定すると正しい行動(欲望にとらわれない行動)を起こす」という「一枚起請文」を弟子達に書き残されその二日後(一月二十五日)に亡くなられたので遺言経とも言われます。
この事例は自然そのものの乳幼児期、知的好奇心(興味)を持つとすぐその遊びに入り込める姿を学びたい為にプレイルームを三十余年前より始め現在に至っているのです。遊んでほしいとの願いにかられるお母さんは何とかして遊びに戻らそうとする母心に「お母さん @ちゃんは大丈夫だよ、遊びに戻る事を信じてお母さんの膝で癒されるの、待つ@ちゃんを信じて・・・」と担任はお母さんを安心させるのです。
翌年@君がしろ組に入園した時に隣のバス停からも男児の同級生が入園して新設のバス停で共に乗降するようになり@君は言葉が出難いのですが意志は通じ合うようで「オーイクゾーB」と誘って駆けると「オー」と@君を追い越さんばかりの勢い・・・。幼稚園生活のリズムがわかるようになると部屋の前にある砂場に手、足洗い場の水を持ち込んでは全身ズブ濡れになるまで遊び込んでいます。見計らって担任が「シャワーで温まるよー」と呼び掛けに二人は待ってましたとばかり、ズブ濡れのまま、部屋を通り抜けシャワー室で震えながらキャーキャーとはしゃぎ先生が温水を出してくれるのを待ちに待っていて温水が出るや否やもう水遊びが始まりシャワーの取り合いから湯の掛け合い・・・と心ゆくまで水遊びが出来たのか、さっぱりと着替えて昼ご飯に参加していました。順風満帆とはいきませんが、B君が二語文を発する様になるとそれがかえって@君とは思いの違いが生じるのかB君が暗く沈んだ顔を二・三日続けることがありました。でも彼らの付き合いは、その間に修正され、年中の三学期ともなれば「B君行くぞ」B君「オー」と飛んで行けるのです。こんな二人の関係の賜物でしょう、B君は年長の女児と遊んでいたり他学年の子どもと遊んだり、そんな時には簡単ではあるのですが、文章になる会話を聞くことがあり、驚かされます。
そんな時@君はどうしているのか・・・とこの文章を書いていて気になり担任に聞いてみると「色々な子ども達と集中して遊びますよ。但し私が〇〇分から〇〇するから集まってね、と言った時にそわそわと何か心配しているような様子はあります」との事。
これは満三歳から幼稚園に就園できるのは昔の人の知恵だと思います。二歳の頃母子分離期に自分と母は同じとしか思ってなかったのがお母さんの毎日する事を自分がやって見ると一つも出来ずに見かねた母が”手を出すな”と叱られて母と別人と気付きだす事(第一の反抗期でしょうか)。満三歳児から集団生活の中で遊び(真似ごと=ままごと)を通して学ぶというその生活の中にはこの一月
一切無碍・二月 知恵如海・三月 発無上意、そして今迄にのべた四月〜十二月と一年間の仏になる修行を三年間のむらさきの生活の中で自分で学(真似ぶ)んでいけるのです。
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