園 長 と 語 ろ う

令和元年12月

―やっかむ―

 先日、幼稚園長の六人で還暦を期に「ジージの会」(女性二人も含むのですが)で学期に一度ぐらい食事会をしよう・・・と話がまとまって細々と続いていたのですが定年を待たずに一人が他界し、つづいて○先生が定年(六十五歳)退職し、その後喜寿を過ぎて、バタバタッと退職となり、私一人が現役に居座る事となっているのですが、御子息に後を譲り自分の好きな研究(趣味)に日暮す○先生が「かつてより連盟(京都府私立幼稚園連盟)の絵画展に子どもの絵は参加されないとの事やけど、むらさきの子どもの絵が是非観たい。何枚か集めといて・・・」と依頼を受けたのですが「うちの子どもは絵画時間というのは無いし描いた絵はおかあさんにあげる・・・」と担任が頼んでも誰も残してくれません」とお断りしていました。

 十月から保育料無償化が始まり、むらさきでは乙訓二市一町に加え、京都市、八幡市及び島本町(大阪府)から園児が通っています。八月中旬まで続いていた行政との話し合いが大筋で決定され申請書等の実務が交わされ続いています。二学期に入っても内容は同じでも二市一町の様式が異なるので作り変えたりとバタバタしていたからでしょうか、うるさく言われない職員室組が二人・三人と増えて来て、電話の取次ぎで職員室を離れようものなら尾先生の色鉛筆(20~30本セット)や担任の可愛い絵が描かれた付箋用紙が床に散乱していたり、美里先生の提出書類に落書きされたりあらゆる引き出しからペン等が出されたり・・・とエスカレートしたものですから、私からついに締め出しを喰う始末。私と美里先生は重要書類などもあり日々必要なものがあるので養生テープで締め切ったり避難させたり・・・は出来ません。尾先生は使わない鉛筆だからと寛大にオープン状態です。

 3、4コースの降園バスが出ると園には預かり保育(プレイホーム)数名の子どもと水曜日の粘土教室の年長児数名が残るのみなので掃除が始まります。その折に端切れ画用紙や不要になった書類の裏面などに書かれた線画に色鉛筆で彩色してあるものやボールペンで描かれた端切れですので長方形などと裁断されたものでなく手で切ったようなあらゆる形状がありますが一切気にせず伸び伸びと描かれているものが散乱しています。それを拾い集めてみると先生との約束を思い出し、月日と年齢、男女、名前を付箋して大型茶封筒に集めてほぼ一杯になったので11月半ばに先生に一時間後には打合せがあるのでと短い時間ですが子どもの絵を見ていただく約束をしました。

 二年ぶりでお逢いするので四方山話しや子どもの絵を見ていただいている中でご自分で分類され、「私は幼稚園に来てから幼年美術の会員になり幼児の絵を学びました・・・」と前置きされ四歳児男女二名の絵が複数枚、三歳男児の絵が一枚ご覧になり「どの絵もストレートに自分の思いを出し、描かされているのは一枚もない・・・」という事と特に女児の絵を講評され「自由奔放に表現され自分の思いをしっかり主張している。けれども最近何かに淋しい事があったのか、描かれた絵の横に縦に数本の線が描かれているので気になりました・・・」耳がダンボになっていた美里先生と担任がたまらず話しに入り込み、「今年になって赤ちゃんが生れてはります!」と。「一身にお母さんの全てを注いでもらっていたのが赤ちゃんの出産で開放されたのか自由奔放な表現が私の事にも目を向けてという願いが出てきたのでしょう。先生(担任)のフォローも心掛けて・・・」。と付け加えて「年齢から言えば四歳児は入園して一杯概念が入る三歳児と自己中心で周りの様子が見えなくなって入った既成概念を崩して新たに自分の体験を通して概念作りをする時期だから自己中心期がこの子には今あるのでじっくりとこの子の本来持ち合った、自分の思いをしっかり表現できる事を応援して見守ってあげてください」と結ばれ、長居の詫びにてお帰り頂きました。

 お互い70代後半にかかる友ですが互いに遠慮なく話し合える仲間を大切にしたいものです。

 本題を「やっかむ」と申しました。「お母さんの目を赤ちゃんに奪われたのをやっかむ」と一言では表現できないのが幼児の世界です。兄弟姉妹、夫々の立場で体験します。それが個性ではないでしょうか!

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