―月のねらい―
九月 歓喜踊躍(かんきようやく) 十月 自策(じさく)自励(じれい)
先日「敬老お招き会」に来園された中には団塊世代とその後の世代の60歳前後の若いお年寄りを見て思ったのは、この人達は少子化時代の始まりだと・・・。兄弟姉妹が二人以上あって初めて一家庭で子どもだけの社会が成立するのですが今は三代に渡って少子化が進行し、子ども社会は集団生活でしか形成できない時代になりました。ところが18年前まで幼稚園から高校まで一学級40人と定員は決められ少子化と共に35人学級になりました。村社会の時代は二十数戸ほどのグループとなりその中で同年齢の子どもが数人存在する・・・。決して隣近所で同年齢が三人誕まれるなんて事はないので不自然な事(戦争)で産めよ増やせよの風潮で私は姉一人兄四人の末っ子六人兄弟で、戦中生まれですが新制小学校に入学し、六歳違いのすぐ上の兄は尋常小学校を一、二年経験しています。
話は本題に戻しますが不自然な日本の学校環境の中で子どもが少しでも自然な育ちをさせようとすると外国のように少人数学級で幼児が求める事を自分で学ぶ園でなければならないという事で前理事長は大人に見せる保育はやめる・・・というストップデモンストレーション保育を主張し、子ども一人ひとりの生活(遊び)ままごとを大切にしました。
子どもの自信を目の当たりにした私にとって大きな出来事があります。副園長時代だったと思います。年長の担任Tが一人のクラス男児を連れて私に相談に来ました。「ここ毎日、T先生は山に連れてくれはんにゃけど、僕は○ちゃんと一緒に○遊びしたいし幼稚園に残る・・・」と。自分の希望をしっかり私に主張したので、この子は出来ると信じてもう一つハードルを高めました。「困った事が起こったらその事を言える先生、そして又今日はお弁当だから、その事もお願いしてその先生がいいですよと受けてもらえたら、フクちゃん(副園長)はOKです」・・・と。山で遊んできたクラスメートを門で迎えた件の二人と加えて隣の組の三人の様子を見たT担任は五人を一抱えにハグしたのです。引率した私はこの自信に満ちた充実感こそが「歓喜踊躍(かんきようやく)」だと確信したのです。
これは他人から与えてもらうものではありません。吉本の漫才では笑いはあるでしょうが歓喜には至らなく十月のねらい「自策(じさく)自励(じれい)」を経なければ得られないのです。「自ら目標をたて、その目標到達の為に励み続けて得られるもの」です。
幼児の生活の様子から話しますと「生物」は全てその種を繁栄させる為の工夫が成されます。木の実や草の実は鳥類に種子共に食べられ消化されない種子は鳥と共に移動し排便されて発芽するもの、風が運ぶタンポポや紅葉、生き物が運んでくれるドングリ(餌として貯える)やオナモミなど体毛や衣服にひっつくもの・・・。社会生活を営む人間やオオカミのように食べ物を得る為、共同作業ができること。
乳児は衣替えや食事が自分でできるようになった二歳の頃に「母子分離」をしなければ生涯自立できないことになりかねません。稚児は「私はおかあさん」と思っていますのでお母さんのする事は何でもします。でも悲しいかな技術が伴わないのでお母さんに叱られる事が一年程続く内にお母さんって「うっとおしい」と思い始め、母と自分は異なる人だと気付き初めて母子分離が成立します。
満三歳になり幼稚園に入園して初めて集団生活を経験します。三歳児は「自己中心期」と言われるように周囲の様子は目に入らず唯おもしろそう、楽しそうと「知的好奇心」を抱くと何の断りもなくその遊びグッズを取り上げ同じ事をまねして遊びだしました。びっくりしたAちゃんは大泣きしながらもグッズを取り返し、そのグッズで私を辺りかまわず叩くのでワーワー泣きながら砂場の端に腰掛けて泣いているとそっと私の傍に座って優しく頭を撫でてくれるBちゃんがいました。私を泣かせるAちゃんと私が入る三人は最小単位の社会なのです。AちゃんBちゃんの特徴を自分で認識したからです。でもこれは三歳児の自己中心期だから不条理な体験があっても知的好奇心がその悲しみや苦しみを「まねごと(=ままごと))遊び」で乗り越えられるのです。苦しい悲しい体験を私は「不自由」な時として申して乗り越える為に知恵を振り絞り試行錯誤し続けます。これが10月の「自策自励」で何日も掛けて乗り越えると自分で得た「自由」を満喫するのです。
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