―無法の表現を乗り越えて―
六月には沖縄や九州の一部で梅雨入り宣言され下旬になろうとしているのに関西は梅雨入りしておりません。でも一日に何回も雨漏りする程の豪雨が俄かに降り十分もすれば小雨も降らないという状況が続いています。真夏日となる日も多く、三歳児が砂場に付設する足洗い場の蛇口を全開にし、下のコンクリートに打ち付けて飛散する水滴に全身びしょ濡れ、その仲間に入れない子が手洗い場の蛇口も全開にするものですから「キャーキャー」という興奮の悲鳴が広がります。年中や年長児あるいはプレイルームの親子など通行止めになって被害者が続出。見かねた先生達が強行手段で蛇口を止めますが多勢に無勢。開く子ども達には負けてしまいます。そんな時、経理の美里先生が「○○君、今月の水道代一億円です」と請求書を書くふりをしながら混雑の中に入ります(もっとも冗談と分かっているお母さんの子どもがターゲットなのですが・・・)。ヒートアップする担任に笑顔が戻りました。翌日から何人かは素っ裸で砂場に登場する子も・・・。これも一週間は続かなかったと記憶しています。気温が二十度台になるともう本人達がしなくなるのです。
子どもの体感温度の素晴らしさをお話しますと私が徒歩で通勤する道筋の乙訓農協でデジタルの時間と温度が表示されます。朝八時過ぎの温度が四度以下だと子どもに何の変化もありません。ところが七度を越えると十時頃から砂場の手洗い場にコップや茶碗などのおもちゃグッズを持ち込み飛散する事のない水量加減をしながら(衣類が濡れない程度)で水遊びをします。この素っ裸で全身びしょ濡れになりブルブル震えるのを担任の暖かいシャワーで温めてもらった安堵感が六ヵ月後の真冬の水遊びで自身の危険を感じ取る能力が付いたとすると。一億円支払っても得られないという「体感」で感じた何か!を感受したのです。自分で感じた事は自分の身もちゃんと護れる力です。これ程たくましく生きる事は幼児期の体験学習だからこそ得られます。
この体験学習をしたのは全部と言っていいぐらい男児です。好奇心(知的)を抱くとすぐ飛びつける程、ストレート(女児に言わすと「おばかさん」と馬鹿にしてます)に取り組む事ができ、登園して一時間ほどで自分で今日何をするかを考えていた事に取り組めます(私はこの時間を「発散」と言っています)全員がこの「発散」を求めるかというと自分で発散行動に参加する事なく大半の女児のように眺めながら自分ならこうするとイメージトレーニングする事で無駄なエネルギーを使用する事なく疑似体験致します。
洋の東西、今昔に関わらず人種としての何万年も受け継がれているのは生物は全て種を増すことの営みが底にあります。民族を守る為に戦となる事があり、その前夜は士気を高める為、かがり火や焚き火をして時には酒も振舞われます。(もちろん酔いつぶれない程度の)朝になると殿様と重臣が別れの盃を交わすこともあります。
女児が「おばかさん」と馬鹿にする行為も死地に向かう兵士には必要悪だったのかもしれません。
無邪気といわれる幼児には「欲」という邪気にとりつかれ戦争すらする大人の発散とは本質が違い、それが故に私は男児の発散行為を受け入れられるのです。「先生、男児が○○してはる・・・」と言い付けにくる女児も「そやなー」と一言、先生に応えてもらえると自分ができない事を男児がやってくれているのを見て何故か安定します。
七月は夏休みになる迄の二十日程と短いですが酷暑にも負けず、自分達で仲間を大切にする生活の芽を先生が伺えると思います。それは発散活動が周りの人達に迷惑をかけ、それが大きなきっかけとなりました。バケツ一杯の水を頭から掛けられたり泣いて先生に助けを求め先生と共に抗議されたり・・・と他人の存在に気付き二人の特徴で認識すると本人を加えると既に社会が成立します。群れる事で互いに助け合うことで生きられる人種の基本を三歳児が仲間に迷惑をかけ合って気づいたのです。卒園をする頃には自分の思いを片言の言葉と手真似で表現して仲間に以心伝心する事で互いが自信を一杯経験していくのです。そんな子どもの生きる力を認めて見守ってやってください。
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