園 長 と 語 ろ う

令和元年6月

― アウトローの表現―

 無法地帯での表現・・・とセンセーショナルな言葉を最初から使いました。でも集団生活が必要とされる三歳頃より始まる幼児教育はアウトローというより白紙の状態から遊びという子ども社会の生活を通して自分達の遊びを楽しくする為に自分達で考えて「○○したらあかんことなー」とかあるいは年長の子どもから「そんなんしたらあかんにゃでー」・・・と指摘されることもありますが、自分達で自己流のルールを作り上げていきます。過程では大人から見れば我が子が無分別な事を被りやすいのがこの6月頃から活発になるのではないでしょうか。

 幼稚園に入園してくる三歳児(満三歳児含む)は「自己中心で周りの状況が目に入らない」時期と言われています。いわゆる自然というより必然と言える「自己チュー」なのです。四月の入園式から一週間ぐらいは毎日が驚きの連続です。集団生活で扶助しないと生きられない弱い人間は自然に群れるという社会性を身につける事を自ら認知して行く為に二・三人の他人(幼児期の)が周囲に(集落に)居てくれるのが自然ですが、幼稚園では同年齢が数十人も集まってくるのですからそれに慣れる(受け容れる)のに一・二週間かかる子もいます。最もフェンスにしがみつき「お母さーん」と泣き続ける子はこの地区で少子化が四十年も続いていますので今は見ることも出来ません(お母さんの目が行き届くから)。開園当時山手に高級住宅地が出来、そこの住民が各園に「三歳児を入園させて欲しい・・・」と嘆願に廻られ、設立者の前理事長は「三歳児の育ちを学ばなくて、四歳・五歳の保育はあり得ない」と即答で応じました。

 私が園に携わったのは創立七年目でその頃より四十数年三歳児と付き合う事ができ、三歳児の自己チューが自分達で社会を作り上げる自然な姿を学ばせてもらったと感謝しているのです。フェンスにしがみ付き「おかーさーん」と大声で泣ける程「自己チュー」であるからこそ、自分の思いのままを全身で感情表現ができます。

 おもしろそう・楽しそうと感じたら「よせてー」とか「かしてー」などの何のことわりの声かけもなく突然取り上げたり、楽しそうと思えたと同時に真似をしています。この時は真似させてくれた相手は目に入ってませんので何の遠慮もありません。それに加えて相手は他人の存在に気付かせてくれる大切な反応を返してくれます。大泣きして取り返そうと実力行使する人もあれば、担任の先生に泣きつく子も居るでしょう。取っ組み合いの喧嘩になる事もあります。歯型がつく程噛んだり、噛まれたり、顔を握られて爪の傷跡が何のことわりもなく付け合ってるとか・・・。とアウトローのこの時期はフリーの先生や担任が見守っていて石や棒などを持つとそれは「先生が預かるしね」と平常心で声かけをします。興奮状態にならないよう先生達はこの時期の子ども達の心(感情)が鎮まる事に心掛け、びっくりしたり悔しい思いや悲しい思いをしている子にハグをして子どもの気持ちに寄り添うように心がけて「悲しかったなー」とか「悔しかったねー」とスキンシップしながらわかってやると子どもの気持ちの安定は二・三分もかかりません。安定すると「おもしろいことはどこかでやってないか・・・」と真似したくなる事を求めて気持ちは「ワクワク」して知的な好奇心を発揮するのです。

 入園当初の緊張が四月後半からのゴールデンウィークでお母さんや家族の下で存分にリフレッシュできました。連休明けは赤ちゃん返りのように不安な日が続きますが、一週間もすると集団生活を取り戻し、リフレッシュが安定というパワーを得たので、「自己チュー」が爆発的に発揮されるいわゆる「アウトロー」が生じるこの状況は三歳児の一週間程ではないでしょうか?三歳児といえども入園式には四歳になっている子。三歳になって十日も経ってない子と一歳の差がある上に自己発揮にも個性があるので一年ほどかかるでしょうが私達人間は互いに扶助し合う為に仲間を作らねばなりません。どんなに喧嘩をしてもその喧嘩した本人は真似たくなるような遊びを見せてくれるので相手が自分の生活場からいなくなるともう真似べません。楽しい事は悲しい事、苦しい事を自分で乗り越えると得られるのを悟るのもこの時期です。必ず友を離さないような知恵を出します。このチャンスを子どもから奪わないでください・・・。

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