園 長 と 語 ろ う

平成31年4月

― 真似ぶ(学ぶ)―

 ようこそむらさき幼稚園へ。今日からむらさき幼稚園の「自由・自在・自然」の保育が始まります。「漢文」ですので直訳しますと「今の私が在るのは今?の私の生き方に由る、それが自然だ」というものです。これは学問の自由を尊重しながら自己を抑制しようとする気持(自己調整)を芽生えさす幼稚園教育要領に準じているのです。又、学校教育(幼稚園〜大学に到る公・私立)第一の目的である主体性を育む事を徹底して考えております。年度頭初の四月号はむらさき保育を保護者(母又は有母性者)と保育者が手をたずさえて健やかな子どもの育ちを保証できるように願うものです。よって進級児の保護者の方もどうか毎年お読み頂きますように…。

 自然界の生物は夫々の種を繁栄さす為に知恵を出し合います。

 私達人は好奇心を抱くと同時にそれを真似(まね)ようとします。この行為が真似ごとで「ままごと」と言われ身心の全て使って何人とか真似ごとに徹するのですが、まだ母子分離もできない二歳児頃はお母さんが目を離した隙に届かない所までの遠出…。血相変えたお母さんは「○○ちゃん○○ちゃん」と叫びながら家中捜し廻ります。お母さんのベッドの下にもぐり込んでドキドキワクワク。呼び声が遠ざかると淋しくなり立ち上がる時に床に顔をぶっつけお母に届けとばかりに大泣き、叱られながらも抱っこされたので大喜びの安心をプレゼント。叱られる事が日に何回もあり、それを求めている?とばかりお母さんを怒らす事が増えます。母子分離を自らの身心全てを体当たりでの反抗心。叱る母は今までとは別人のよう…この繰り返しが母子分離できる為に幼な児から仕掛け、それに応えてくれた母。自然な自立の様子です。三歳児の社会性へと窓口が開かれたのです。

 幼児は寝起きれば「ままごと」(あそび)を必ずします。この真似事は「学(まね)び」の語源になった程に幼児のままごとは全てが学習なのです。又そこに到る乳児は「身は二つに分かれても心は一つ」と言われる程母子の絆が結ばれ母子分離期に初めて反抗をして心も違うことに気付くきっかけづくりでした。その為幼児のままごと遊びはお母さんごっこに尽きます。少子化で弟や妹が生れた姉のみ育児ごっこの真似ができるのですが以前はセルロイドのキューピーで育児ごっこができたのですがその人形も今は見る事ができなくなりました。炊事や洗濯も手作業の時代には「ままごと」グッズも釜やかまどに七輪、洗濯たらいに洗濯板などでタオルやクツ下を石鹸の泡だらけで洗っていました。いつも自分に目を向けてほしい…と願う幼児は「これ食べると賢くなれるで…」と「お母さんの臭いは洗濯の臭いでしょ♪」と童謡にもありましたが洗いたての衣類に着替えるとお母さんの臭いがするのです。いつもいつもお母さんは私を見てくれているという安定を乳幼児期に育んでもらったのでその絆があるからこそ母子分離も出来ますし三歳になって年少組になり園で遊んでる幼児に知的好奇心(幼児の好奇心はままごとで「学び」故「知的」と冠詞されます)を抱くと自己中心で周囲のことが目に入りませんので何の躊躇もなく、その輪に混ざり遊んでるままごとグッズを奪い取り真似ごとを始めました。奪われた子どもはあまりのビックリに大泣きして先生に抱き付きました。又ある時は取り返され突き飛ばされての逆襲に自分が泣くはめに遭います。時には互いに掴み合いの喧嘩になる事もあります。先生は抱っこして悲しい思いや辛い思いに寄り添います。数分で子どもは先生が私の悲しみや辛さをわかってくれていると感じれば先生の手から離れて自分から好きな遊びに戻ります。こんな幼な児のことを「今泣いたカラスがもう泣きやんで…」と悲しい事や辛い事はすぐ忘れて楽しい事を真似びに皆の所に戻れる事を昔の人は知っているのです。「子どもの喧嘩に大人が入るな…」と大人をたしなめてもいました。

 このように自己中心の三歳児の園生活は社会生活を送る基本を身心全てを体当たりで体験するからこそ自分で会得でき自分で芽を発せるのです。

 たとえば先の私を泣かす人がAちゃんと認知し泣かされる人がBちゃんと認知しました。私とAちゃん、Bちゃんは最小単位の社会ですが自分達の立派な社会なのです。

 これを大人が言葉で教えようとするとAちゃん・Bちゃんの名前は憶えても誰がAちゃん・Bちゃんかとはわからないかも知れません。あるいは進級してクラスが変わると友達関係では無くなるでしょう。他人の名前に興味が無いと憶える事はありませんし仲間意識も持てません。又教えるという行為は教える大人が主体となり子どもは客体と言われるお客さん扱いです。教育の目的、主体性が育めるのでしょうか。

 集団生活が初経験の三歳児にはひらがなで名前の書かれたシールに花や植物あるいはおもちゃグッズなども一人一人異なる絵柄のシールをクツ箱やロッカーに貼ってあります。登降園時には担任やフリーの先生、ボランティア(卒園児のお母さん)等が付きっきりで教えてくれます。園生活に慣れてくると自分で登降園時のセレモニーはできるようになります。反対に興味が抱けない子どもには待ってやるなどの余裕はあるのですが…

 自分も一緒に遊びたかったら「寄せて」と言うのよ、貸してほしかったら「貸して…」と言うのよとお母さんに言葉で教わりました。

 年長女児がブランコを高々と漕いでいるのに興味を持った三歳男児が「代わって」と何度も言うのですが女児は無視します。度重なる要求に一言「いや」と応えます。「○○ちゃん弁当頂きます、するよ」の担任の呼び掛けにやっと代わってもらいました。

 後刻その女児に問いますと「私が代わってもらうの何人も待ったの私が乗ってすぐ代わってほしいと言うから「いや」と言った」のだと…。

このウィンドウを閉じる