園 長 と 語 ろ う

令和2年3月

― 月のねらい
   三月 発(ほつ)無上意(むじょうい)
   四月 往還二相(おうげんにそう) ―


 今年度トップでしろうさぎの生活発表が二月十三日に行われ、十時四五分子ども達が遊戯室に登場…と始まりが知らされていたので二五分頃にビデオ撮りの準備を始めているとお母さんも順次来られ室内も子ども達の賑わいの様子に加え補助の山口先生が「もう始まってるみたいですよ」…との声掛けをしてくれたのでとりあえずスイッチを入れたのですがお母さんの顔を見つけて跳んで行く子や制作コーナーを見に行く子、巧技台を出そうとする子など色んな思いを夫々ストレートに出していました。巧技台を積み上げる子が現れるとさっそく興味を抱いた子がその中に入り込み積み上げられた枠の背丈が自分の背より低いので中に入れる自信があるのでしょう、片足を枠の中に入れてみたものの床に届かないものですから四苦八苦…。積み上げてる男児はその子どもをみて諦めたのか譲ったのか!隣で新たに積み始めました。一段と二段合わせた倍の高さのある二種類を組み立てている子の隙を見てちゃっかり中に入り込んでいる子が居たり…。誰も怒る子が居ないので穏やかに生活発表会が進行している時に担任が最後の子どもと共に遊戯室へやって来て制作コーナーで二人の女児が何かに取り組んでいる姿に声掛けをした後大半の子どもが関わっている巧技台で高く積み上げた枠に梯子を掛けて何人もが登ろうとするのでケガのないように枠を外したり周囲にマットを敷いたり、梯子にマットを担任が掛けると一段一段余す所なく子どもが足を掛けるので動けなくなりました。何もない反対側にマットを掛けて「いいよ、これで大丈夫、飛び降りて!」の男児の声でドタドタ飛び降りるので二重三重と重なるのでは…とヒヤヒヤするのですが全員が天辺から飛び降りた所で一段も二段も低く修正されたのですからなんだか穏やかに事が運びだします。

 子ども達が怪我をしないように…とマットを下に敷いたのにそれを除きマットを梯子代わりにするなど誰が見ても一人がマット梯子に足を掛けると重心が移る流れで床まで子どもの芝に到着するのでとても軽い子どもは軟着陸して無事だとわかるとエスカレートして遊びは危険を伴うことに発展するのです。今日は生活発表会だったのでそこまで発展するまでに担任の「そろそろお昼にするし片付けよう」との声掛けに全員の子ども達が力を合わせて片付けを終わらせ部屋へ戻りました。

 担任のくれたシナリオでは十時半に部屋に集まり「生活発表会」の話をして十時四五分遊戯室に移動。十一時十五分「生活発表会」を終える、予定だったのですが十五分早まり、十五分延長…と三十分の予定が倍の一時間でそれも充実した一時間でした。

 同じ三歳児でも早バスクラス、遅バスクラスでは少し生活リズムが異なる事があります。幼稚園に着くやすぐ発散的な遊びをして気持ちを落ち着かせる時間を十分でも持つと落ち着くのですがこれは三歳児の場合は男女児による性別の違いはあまり見受けられません。バス通園児はバス内で顔見知りになり五歳児はダイナミックでかつ合理的な生活の姿を見せてくれますし、三歳児が困っていると手助けを一杯してくれて真似したい魅力が一杯なのです。真似っこは自分が真似たいと思う自発性なので難易度の高い(もっとも危険と大人には見えるのですが)ものを設定してクリアすると設定した子もそれにチャレンジした子も同じように大満足できます。三歳児は言葉少ないので理屈は言わず無言でチャレンジして無言でクリアの喜びを噛み締めているのです。

 三月のねらいは目標に向かおうとする強い心とあり、四月のねらいは自分自身を大切にし他人を敬うとありますが無邪気な幼児とは邪(よこしま)な気持ちが無いことなので煩悩(欲望)がないということです。生まれてまだ三歳頃まではやっと自我を目覚めさせようとする時ですので「仏」そのものです。ただ只早く成長しようという意欲のみで真似たい事は人間に限らず動植物全てを真似できるのです。「自然」を失っていないからです。真似したくなる人は成長する糧を失わない為に大切に大切にします。それはまだまだ自然そのものだからです。私達欲深い大人が教えられることは何もないのです。真似をしてくれるような人になれば子どもは生涯幸せでしょう。


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