園 長 と 語 ろ う

平成30年10月

― 育む愛(幼児編完) ―

   年長五歳児と呼ばれる学年の子は就学直前の一年間で誕生月を迎えると満六歳になる子ども達のことですが2年乃至2年と数ヶ月幼稚園生活を過ごして来て、好奇心(知的)の趣くままに遊ぶ事ができました。といっても教材、教具が山のように用意されていても幼児の学びは本人が好奇心を抱かないと只のものです。

 今までの育む愛の三歳児・四歳児で述べてまいりました通り知的な好奇心を抱くと自己中心故に起こるルールも社会常識もない行動で泣いたり、泣かせたり。笑ったり、笑わしたり、噛んだり噛まれたり等と感情を互いに刺激する事が毎日何回も起こります。これは社会性の育ちに必要な感情の育ちを自ら体験して学習するのです。「良いこと・・・。悪いこと・・・。」(善・悪)の尺度は人夫々、加えて大人は「ダメッ」と悪いことのみ指摘しがちです。尚かつ尺度があるにも関わらず全て絶対の「悪」になってしまうので子どもは理解できないまま「ダメッ」の一喝に従うのです。さて五歳児は二学期にもなると自分で楽しいこと・嬉しいことなどいっぱい経験させてくれる友を放さないよう知恵を一杯だして考えた事はその友が悲しい思いや辛い思いで泣いたりしょげ込んでいるとそっと側に座し肩をくっつけて温かい気持ちのオーラを発散したり、頭を撫でていたり・・・とそんな思いやりの気持ちを一杯出しています。自分がかつて悲しい辛い思いの時に優しい人の愛を一杯受けたのでしょう・・・。

 このように人の愛を体験してすぐそのまま真似られるのは邪気の無い幼児期だけです。私達が「ダメッ」と一喝して愛を体験するチャンスを奪わないようにしなければなりません。

 9月も半ばが過ぎると運動会の話題が出てきます。第三小学校や第二中学校より運動会のお誘いが来て、日程が合えば行けるのですが小学校は土曜日(雨だと水)なので手分けして先生達が参観して刺激されたりあるいはお兄ちゃんお姉ちゃんの運動会に連れてもらったり市民運動会に参加して刺激されたりと夫々の子どもの夫々の運動会を見た通り話します。

 私達はお父さんやお母さんの拡販会議や町内を清掃するゴミゼロ会議を真似っこして子ども達に「会議」と言って気分だけ大人になりますが部屋の床に車座になるのですがロッカーの上で寝そべって見おろしてる子や隅で雑材製作していたり・・・と座の輪に入れない人もいるのですが、先生が???の人が多いと園庭に出て実際にやってみながら都度、説明を聞きます。その輪にはロッカーで寝そべってた子も雑材製作をしてた子も・・・。クラスみんなで輪に入っていました。「ちがうでこうするんやでー」と地に足をつけたロッカー君が意見を申し出ています。・・・五歳児の生活に即した立派な会議ではありませんが日を増すごとに作戦会議になったりと・・・。夫々の思いは身振り手振りで伝え合うという事が生活の豊かさになります。月齢の違いで自分で伝え合う仲間には入れなくっても真似っこで一緒に運動会ごっこを楽しんでいます。伝える人ではなく伝えられて見様見真似で遊んでいると、みんなと同じ気持ちで仲間の一人になっているのです。

 幼児期は好奇心或いは興味津々の子どもになってくれる事が最も大切でその興味を納得できるまで時間と遊び道具と使える量が自由であると興味の趣くままに遊び込めるのです。子ども達の遊ぶ様子を見ながら不自由な状態をわざわざ設定する事もあります。教具、教材など量を制限したり遊び道具を少なく提供したり・・・と。子ども達が自由をみんなで乗り越える為に工夫をしようと色々な試行錯誤をくり返して困難を乗り越えた時、みんなの気持ちが一つになった歓喜をみんなでワーワーキャーキャーと派手に得ました。先生が不自由を設定しての結果ですが・・・。子どもの遊びは人を泣かせたり困らせたりといった不自由を作り出しそれを乗り越えた自由。他人からは与えられない自由を自分達の生活を通して獲得して行く事に気付かせてくれました。

 この子ども達は寿命の尽きるまで興味を失することなく探求して行く事でしょう。堂々と自信を持って。


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