園 長 と 語 ろ う

平成30年7月

― 育む愛(幼児編C)―

 前回の育む愛(幼児編B)で四歳児は幼稚園生活三年間の丁度中間の年齢となり、三歳児一年を通して概念化したものを遊びの更なる楽しさ、おもしろさ(発展)を求めて概念崩しをすると申しました。これは自学自習をしている子ども達が意識するものでもありませんし、指導や指示が通らないとわかっている先生にも確信が持てないものです(小学校教育と幼児教育の違いを比較すると「教育目標」では到達目標が教科ごとに具体的到達度を示す。に対し、方向目標と言われ、方向性を示すのみにとどまります。「教育方法」では直接教育と言われ、教師主体で教師のねらいや意図を直接指示・指導する。に対し、間接教育で自分から進んで動き出す(遊びたくなる)教育環境(人的・物的)を設定、子どもが主体的に選ぶという教育の基本、自由性を尊重されます。「教育評価」では評価基準に基づきABC(1〜3の三段階など)評価する。に対し、絶対評価と言われ、個々の発達に応じた個人的評価となり他者と比較せず子どもの育ち(姿)を文章で記述するというものです。

 従前より、村社会には一ヶ寺以上の寺と村社と呼ばれるお宮があり、大地主から小作人と言われる人達が借りた田地で米作りに精を出していました。田植え期と収穫期は農繁期と呼ばれ、尋常小学校も三日〜一週間は休校となり、子どもの手も借りて村中全員が手分けしてあるいは協同で農業に従事していました。乳幼児は寺や神社で預かり、託児所の様でした。読み書き計算を教える住職や宮司(神官)も居たことでしょう。基本は幼児は遊びたい事に取り組み、知りたい事を僧侶や宮司に聞いて教えを請うという自由な教育の場でした。仏教を下敷きにした日本の教育は欧米の一神教と異なり、絶対ではなく相対的に物事や事象を考えますので、命令は一切ありません。自分で考え、自分で対応するという主体的に学ぶ幼児教育の基本は日本では託児の寺子屋時代からこの方法だったのです。ところが第二次世界大戦に敗れ米国軍が進駐しGHQが日本人の意志の強さと勤勉性などあらゆる人間性に怖れを感じたのでしょうか。まず教育の大改革です。戦前の日本では親方と弟子、師匠と弟子、師僧と弟子といった従弟制度が何百年も続き親方や師の術を見習ったり、盗み見たり…と。全く現在の幼児教育の基本を生活の中で育まれてきたのです。真似る(まねごと=ままごと)=学ぶ…を。日本のあらゆる職人術(わざ)は精密で美を極めているので外国人が魅せられ教えを請う人がメディアで多く紹介され、その多さに驚かされます。自由・民主の教育で学校が新制六・三・三・四制となり、教育の基本法は幼稚園から大学に至るまで主体性を育むことと自由性を重んじることが主になっていますが、一神教である欧米は絶対である神から自由に解き放たれたい願望がどこかにあるのではないでしょうか。

 社会生活を営む人間は宗教に関わらず、集団から解き放たれ“個の確立”という本来的な願望であろうと思われます。仏教国であった日本民族は中庸(かたよらないでほどよく)を求めますので、白・黒、十・一、勝・負、の二極になると心情とか感情あるいは幼児の育みたい豊かな感情は育み難く、中庸の社会だからこそ育めるのではないかと私は思うのです。非情な事件や事故が学生時代成績の良い人でも起こし得るといった事のないよう、知識をいくら詰め込んでもコンピュータには勝る事はないでしょう。豊かな感情を有した人のみ自分を制する我慢心が勝ると思います。この幼児期は集団と個を遊びという体験で学習できる為か、人間らしく生きられる全ての力の芽を出します。一面で三歳児の担任も申しております「日々の生活でどれほど多くの学びがあるのかと驚かされている」…と。集団生活を始めてまだ五・六十日しか経っていない…というのに…。
 
 御存知の様に幼児は自己中心ですので主体性そのものです。その特性を発揮できるから集団生活と個性の確立という人間らしさを培う芽を発芽させられるのです。帰宅したお子さんが悲しげな様子が伺えると何も言わず静かに抱っこしてゆっくり揺って「愛のゆりかご」をあげてください。

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