園 長 と 語 ろ う

平成29年12月

―刺激し合う―

 幼稚園の『幼(よう)』は「おさない」と訓読みします。『稚(ち)』も「おさない」に加え「あどけない」の意とあるので母子分離期の二歳児の子どもも『幼稚』に含まれるのではないでしょうか。そんな子らの『園(その)』ですから「職員室は子どもが入れません…」とか「ピアノは子どものおもちゃではありません…」と禁止の言葉をかけるのは園というには少し矛盾しているように思われます。故にむらさきではストーブが点く、冬場は「ドアを開けたら最後の人は閉めてくださーい」と連呼します。反対に夏場は「ドアは閉めないでくださーい」の連呼となります。三歳・四歳・五歳児のそれぞれの小集団による職員室占拠状態になると「シー!電話が聞こえません、静かにしてくださーい」と小声の呼びかけも怒声になってしまうほど。

 先月半ば頃、二・三人の年長女児が原稿書きをしている私に飛び込んでくるや否や「エンチョどいて」…と。私が椅子のまま後ろに下がると机の下に潜り込み「エンチョ、戻って!」と隠してほしいのでしょう。しばらくしても鬼が捜す気配がないので「エンチョ出さして」「アリガトウ…」とお礼を言うのも忘れませんでした。
 数日後同じ女児達が同じシチュエーションで机の下に潜り込んできましたので少し刺激を…と思い「ここには○○ちゃんは居ませんよー…」と私。女児達「…」。数分か数秒して男児の複数人の声が足音と共に近づいてきたので、もう一度「○○ちゃんは居ませんよ…」「エンチョだまってて!」と声高に叫びます。どれ程女児達はドキドキワクワクした事でしょう。私がしたり顔でニンマリしていると数人の男児達がドカドカと職員室に入り込み何もなかったかのようにそのままの足並みで通り過ぎていきました。男児をやり過ごした女児が「エンチョありがとう…」と男児の後を追うように跳び去っていきました。

 その数日後、年少の仲良し三人組(女児も含む)が無言で机に向かう私を押しのけようとします。「かくれんぼ」と勝手に思い込み机の下に全員を入れてやりました。子ども達が机の下で隠れているとばかりに思っていたのですが十分程も経ったでしょうか、椅子を押す子どもが居て…ああそう言えば年少の三人組が潜り込んでいたなーと無言で場所を譲り出させてやりました。机の下で楽しく秘密の時を過ごしたのでしょう、手に手にカラフルなシールを持って出て行きました。ままごとは年少らしく今一番ホットな遊びを机の下で繰り広げたのでしょう。ワクワク感が伺えるものでした。

 最も登園日の多い二学期も残す所あと三週間ほどです。十一・十二月頃集団遊びの最も充実する時ですが遊びが発展するには少し意地悪な刺激が必要となります。たとえば困難な障害となるような現象が起こったり、起こされたり、物と物の接合をセロテープといった安易なもので代用しているとセロテープなどの保育用品の提供を減らしたり、ゼロにしたり…と。あるいは意地悪な事を言ったりもします。

 子ども達は一つ不自由な状況になると今まで少しハイテンションな状況で遊びが展開されていたのが一息ついて工夫して不自由を乗り越えねばなりません(不自由な状況を乗り越え、自由を得る)そして遊びはより複雑なものへと発展するのです。例えば、三人グループの遊びに興味を持った一人が加わる事で新鮮な遊びへと発展し、偉大なる成長を成し遂げます。このような成長期となるには新学期が始まってから六ヶ月も生活を共にして悲喜こもごも、喜怒哀楽など人間の感情の全てを経験しました。流した涙の量の数倍もの豊かな感情の芽を出し、その成果が十一・十二月の姿に現れた事だと思います。

 同じ机の下に潜り込んでも三歳児は年長児の真似っこ(ままごと遊び)で五歳児の鬼から隠れるという目的とは異なり、秘め事の場を楽しんだ…と成ります…。この真似っこが工夫して自分達で生活を作り出す原点となるのです。


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