園 長 と 語 ろ う

平成29年11月

―はじける―

 十月中旬ともなると、「運動会ごっこシリーズ」を控え、各学年ごとに日程が組まれるので年少と年長は同じ週にはできません。(兄弟関係で週に二回も親御さんに来園してもらえないから…)最低二週間が必要となり、予備日を入れると三週間にも渡ることがあります。幼児期は「今」という刹那を精一杯生きています。「ちょっと待ってて…」というそのちょっとが待てません。急な用を済ませ待たせている子どもの所に戻るともう他のあそびに夢中で私に何の用があったのかも忘れています。

 年長児ともなると金曜日(休み前)に約束した事を月曜日に忘れず実行するよう要求される事もあります。私は「子どもらしさ」が未だ来ぬ未来の事や過ぎ去りし過去の事に執われない今を夢中に取り組んでほしい…と願うのでどうしても無邪気な子に目がいってしまいます。

 運動会ごっこは幼児期の生活全てがごっこ遊びで真似ごと(ままごと)なので真似たい事が身近になければなりません。お父さんの職場の運動会で家族全員が参加したり、小学校へ通うお兄ちゃん・お姉ちゃんの運動会の応援にいってカッコいいお兄ちゃん・お姉ちゃんを夢中で応援するともう、すぐ真似たりします。日曜日ともなると社会体育振興会(体振)のお兄さん・小父さん・小母さんがやってくれる町内の運動会で色々な参加賞を頂けるほど楽しませてくれました。お父さんの職場の運動会(20年も前の頃でしょうか)ではアメとかパン食い競争にはじまり、借り物競争まで「やろう」と子どもからリクエストがかかると「何とかアレンジしてでも出来ないか!」と担任は苦労したり楽しんだり、そんな大人の娯楽であった運動会も生産性の効率のみ追求する現代社会になって子どもが喜びそうな運動会はなくなってしまいました。近くの小学校や中学校の運動会の練習姿をフェンス越しに運よく出会えれば観る事があるでしょう。

 むらさきの子ども達は貪欲に「楽しい事」を求めていますので伝承されたパン食い競争も毎年アレンジされていますが本来的には“楽しい”ので現在も年長には受け継がれています。

 今年のむらさき運動会のトップ年少組運動会ごっこが明日に控えた早いコースのバスが園に着いて暫く経ってから「キーキー」「キャーキャー」と奇声というより金切り声を思い思いに発する二・三人の年長児が職員室を通り抜けていきました。五分もしない内に、奇声の一段が増員して来ました。どうも奇声のトーンが少し違います。同じ様に職員室を通り抜けたのでトーンの違いはしろのくみの人が猿にでもなったつもりで思い思いに年長児に続いていました。

 むらさき新聞の原稿を書いている私や電話をしている先生には迷惑な話ですが、でも通り過ぎると次はどんな風に発展して巡ってくるのかを楽しみしていたのですがその日の奇声はもう聞かれませんでした。運動会というごっこ遊びであっても年長にとっては自分のやりたい運動会をみんなに理解してもらい自分達の運動会にする為には全身全霊で打ち込まねばなりません。その不自由な状況に立ち向かう勇気を奮い起こす為には大声を出したり奇声を発したり走り回ったりとうっ積するエネルギーをはじける(発散)事で中学生や高校生にも勝るとも劣らない手作り運動会にしていけるのです。「うるさいから静かにしなさい…」とか「そんな阿呆な事してんと絵本でも読み…」と私達大人はなんて無駄な事をしているのかとそれらの行為を止めてしまいますが、でも仲間の子ども達はブーイングをしません。自分達の代わりに阿呆になってくれているのですから…。特にはじけられない女児にとっては情緒安定の特効薬なのです。顔で笑って口では「阿呆な男の子…」とつぶやきながら。そして悪乗りした年少児までが楽しかったという思いで自己調整の術を伝える芽を出したのです。


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