園 長 と 語 ろ う

平成29年10月

―知恵を働かす―

 幼稚園は人生はじめての学校で集団生活の始まりです。満三歳から、小学校入学までの三年間(満三歳児は三年と○ヶ月)が幼稚園児期にあたります。二歳児では母子分離期になり、この頃からお母さんの真似ばかりしていた私(☆)を「お母さんの邪魔をしないで」…と叱られる事ばかり…。自分がお母さんと思い込む子どもも、お母さんのする事を真似て手を出すのも叱られるのも必然です。
 
 自分の全てを受け入れてくれた母に“叱る”という行為で拒否をされる。その母が「うっとおしい」存在となり一年もしくはそれ以上続くでしょうか、自分は母ではないと気付くのに…。母と子の分離を自ら知ります、たった人生、二・三年で。

 母と私(☆)は異なる人では…!と気付き出した頃に始まった三歳児の幼稚園生活では周りの様子は目に入らず「楽しそう、面白そう…」と好奇心を抱くと何の断りもなく、すぐその輪に入り、何の断りもなく、遊んでる子のグッズを取り上げる…といった自己中心期のいわゆる「自己チュー」の必然が発揮されます。

 幼児は他人が遊んでいる事に好奇心を抱くとすぐ真似を致します。この真似は「まねごと→ままごと遊び=まねぶ→学ぶ」となり自分の成長の糧になると思えることにのみ知的好奇心を抱くのです。
 
 私(☆)に遊び道具を取り上げられた□ちゃんは取り返しに来たけれど返してくれないので手に噛みつき「△×○%…」と叫びながら肩や背中などを一杯叩きます。□ちゃんの大逆襲に☆は何がなんだか分からず大泣きしてしまいました。そんな☆の側に佇み頭を優しく撫でてくれる○ちゃん。○ちゃんも□ちゃんが遊びはじめると☆と同じようにその魅力に知的好奇心を抱くのですが、□ちゃんから取り上げることが出来ず常に見ては一挙手一投足を全て頭の中に入れています。逆襲する□ちゃん。泣く☆に優しくしてくれる□ちゃんそれぞれを特徴で□ちゃん、○ちゃんを認識しました。☆を含む三人で最小の「社会」です。この三人は互いに好奇心を抱き合えるのでどの一人が欠けても日々の生活が成立しません。夫々に心を配り何とかこの関係を保つために少し我慢したり、強く主張したり他の遊びに目を向けて暫く離れたり、子どもなりに試行錯誤して自分の気持ちを調整します。幼児期は邪気がありませんので、その時々に応じてストレートに気持ちを表現します。「もう少し優しくしてあげてー」と私達大人は思うのですが一刻も早く伝えたい子どもは焦る心のまま…。気遣いも心配りもなくストレートなのです。

 ☆や○ちゃんは「□ちゃんが意地悪しやはるー」とうちでお母さんに訴えます。「□ちゃんはあなたの事が好きで、気にならはるにゃでー」と答えていたお母さんも度重なると「もう意地悪な□ちゃんと遊ばんときー」と入れ知恵してしまいます。でも☆や○ちゃんは□ちゃんの魅力についつい惹かれるのです。

  親はなぜ一緒に遊ぶの?とやきもきします。でも☆や○ちゃんは普段通りに□ちゃんと生活を共にしています。今は掛替えのない友達なのです。でも新しい刺激や困難な事がないと遊び(生活)が発展しません。子ども達はあえて刺激を求めてルールのあるような遊びを毎日している年中・長のグループに顔を出してみたり、新たに△ちゃんを迎え入れて人数が三割増しになると手に負えないぐらい不自由な状態に自分たちを追い込み、それを乗り越えた時こそ自分達で得た自由です。知らず知らずに四人の顔に笑みが浮かびます。この感動を体験した人は不自由な状況に自分を追い詰めようと意地悪な事をしたり、言ったりの刺激を発信し、それを乗り越えた子は成長して意地悪を発信した子より成長すると、今度は刺激を発信する人に代わって行けるのです。

 このように互いが刺激し合い仲間の数を増しては不自由を環境として取り入れ乗り越えて成長する仲間。これは成長する共通目的の下に集まっているので、立派な社会です。十月ともなればうんどうかいに向けてみんなで手作りの気分で各々の思いを言葉で伝えあったり園庭で実際にやってみたり…と思いを伝え合う「会議」と称するままごとがはじまります。ロッカーの上に乗ったり、床に寝そべったり…思い思いでリラックスさせながらではありますが…。

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