園 長 と 語 ろ う

平成29年9月

―二学期の保育方針―

 下記の月のねらいの十月に「自策自励」自分で考えその考えを成就するため自ら努力する…とあります。年十二ヶ月夫々に仏教用語が付されていますが全て自策自励と言えます。

 言いかえれば「主体性」を育む事が全てなのです。現在、教育では「主体性」を育む事が幼児教育から大学教育に至るまで目標とされています。大学ですら学びは自学ではなく、教授があらゆる現象を想定して対応できる方策を指導される時代になりつつあるのではと感じます。「お母さんが忘れはったから…」と園外保育の持ち物を忘れたのを母親に責任転嫁する幼児と同じで「教授が想定外を作り過ぎた…」と責任転嫁するほど自己責任の観念が育たなかったのです。

 四歳児の二学期後半頃より園外保育用の持ち物は弁当とか、ハンカチ、ティッシュなど簡単なものは図解をしてお母さんに少しアドバイスをもらいながら自分で用意すると自分でやったという自立が自分を信じる心「自信」となり主体性の経験が又一つ積み重なりました。このように“自立”のチャンスは日に何回もあります。我が子が忘れ物したら可哀想…とついつい手出し・口出しするとその行為はお母さんが主体者で子どもはお客さん、即ち客体者で「お母さんが忘れはった…」となり、自立も自信も付かないままです。我が子に苦労をさせない…という親心なのでしょうが積み重ねると自分で行動するという体験が不足して活き活きとしている子どもらしさや輝きがありません。自分の行動(遊び)に自信が持てないので不安定なのです。徒歩通園年少児で迎えのお母さんが帰り仕度が遅く手出し・口出しされる事があります。「くつ、反対でしょうそっちは右…こっちが左」。右も左もわからない三歳児が急かされると萎縮してしまって泣くだけ…柔らかい足と柔らかいズック靴は違和感がない内は反対でも履けるので本人も苦にならないのでしょう。年長の頃活発に運動するようになれば自分の足にフィットするように自分で履きかえますし、他児からも指摘されることもあります。高期高齢者になろうとする私でも、人が読んでるのを聞いて「あー、あの字そう読むのか…」と遅い気付きに恥じらいを感じる事もあります。

 幼児期は指導や指示が入らなく、入っているように見えても高校生ぐらいになると記憶に残ってないそうです。自分で体験(遊び)をして身体で憶えた事は人間らしい豊かな感情まで育んでくれます。自分を信ずる心はもちろん、泣いたり笑ったり悔しかったり楽しかったりと豊かな感情を刺激し合えた友を大切にする心、そして又自信は自尊感情へとつながっていきます。一人一人の子どもが主体性を育めばみんなで助け合える社会となるのです…。

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