園 長 と 語 ろ う

平成30年1月

―三学期の保育方針―

 学期末の十一月から十二月にかけて、子ども達は自分の思いをしっかり主張するようになり、夫々の思いを夫々の方法でしか発揮できません。何かにつけて成長の早い女児はどうしても弁が立ちます。中には男児でも達者に理屈を述べる子もあります。理屈に太刀打ち出来ない子は無言で迷路作りにせっせと手を動かし、ダンボールを大きく切り開いています。遊戯室の前半分ほどを使って「サンタと遊ぼう」用のデコレーションに各組で飾りをつけたツリーが遊戯室に雑然と置いてある所で空ダンボールを担任が環境設定し、それに子ども達が思い思いに五つのコーナーと思しきシンボルがツリーでした。女児の口うるさいブーイングに無言で洞窟の門のようにダンボールが切り開かれ、仏壇の掃除を終え、勤行中は見えない子ども達の様子をダンボの耳で探っていて終わって後ろを振り向くと年長の子ども達は誰も居なく、そこで遊んでいる年中や年少の小グループがツリーのコーナーで思い思いに遊んでいました。

 翌朝、勤行で仏間に立つのが昨日は迷路らしきダンボールが掃除や勤行の邪魔をしていたのが今朝はなんとスッキリとしていて例の門には帯状に破った新聞紙がアーチ型ののれんのように設(しつら)えてあり、シンプルなんだけれどもなんだか趣があり女児達や男児に意思の通い合いが無いかと思っていたのが温かな気持ちの通じ合いが伺え、私もうれしくなりました。その上、五つのコーナーは繋がっているのです。今の三歳児でも楽しく遊べる心遣いもうれしいですね。一学期や二学期のはじめの頃までは年少児や年中児が入ろうものなら「入るな!」「来るな!」…と拒否の荒っぽい言葉がけが聞かれたのに芋掘りの道連れや身体測定のエスコートなどの経験を通じて思いやれる心や年長同士でも女児の思い、男児の思いを夫々が受け入れられるようになって来たのでしょう。私を喜ばせたのですから…。
 
 さて三学期の保育方針、二月に知恵如海とあります。これは仏の二大力の一つで阿弥陀仏の右横の脇侍 勢至菩薩が知恵の修行から仏に成られる菩薩で八正道という修行の方法です。これらの全ては私に相対する他人の利益ばかりを考えています。この生活を続けていると煩悩といわれる欲望が無くなるのです。幾多の名僧、高僧が輩出されたにもかかわらず未だかつてお釈迦様だけです。釈迦牟尼仏と成仏されたのは。
 ところが無邪気な幼児は生まれながらに貪欲は無いので、八正道を遊びを通して自然に行えるのでしょう。

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