園 長 と 語 ろ う

平成28年10月

―保護者の思いに寄り添う〜保護者を支える〜―

 夏休みに入ってすぐ全国幼児教育研究大会が隣の奈良で開催という事もあり十数年ぶりに参加しました。二日目に参加した第一分科会で協議の観点@一人一人の幼児の育ちを支える保育力(午前)A保護者を支え、共に歩む学級づくり(午後)とあり「保護者を支え」というフレーズが気になります。というのも今年京私幼連盟の28年度の保育方針に明日を担う幼児教育〜子どもがまんなかの社会実現を目指して〜と銘打ち、子どもや保護者の思いに寄り添う…と思いに寄り添うのに「保護者」…というのが初めて出て来たので「今頃やっと」と思ったものです。ところが国公立でも時季を同じくして保護者に目を向ける事を喚起しています。「寄り添う」私立と「支える」という公立の上から目線の違いはありますが…。むらさきでは開園以来「母の安心(あんじん)・子の安心・担任の安心」とうたい、母とそれにかわる(母性)を有する人と近頃は申しておりますが二十年ほど前より世界的に幼児教育が重視され、国策ともなっていますが日本では制度を改革するばかりで幼児の健全な育ちという願いがみえてこないのです。

 二歳児保育を教育特区として長岡京市はいち早く取得しました。その時の市の説明では一年後に評価会議がありますとの事で「一年でどのように子どもの成長を評価するか」と尋ねますと、子どもの教育的効果は一切なく「経済的効果のみで、たとえば制服代の売り上げとか…」との事で私は一年先取りするだけなので失う代償の方が高くむらさきは申請しない事にしました。採用された園も経費がかかり過ぎで…とその後うわさにも聞きません。

 子ども子育て関連三法に伴い認定子ども園という制度改革について京私幼連盟と府の文教課が主になって文科省の課長・厚労省の課長とが説明に来られ数字を述べられただけで最後に経験豊かな女性園長の「それだけ長時間(8時間以上)幼児を母親から離して子どもの育ちはどうなるの…」との質問には応えられず、待機児童の解消ということで子どものより良い成長という根本的なポリシーが何もないところには賛同できない…。京私幼は認定子ども園に移行するところは現在は無いそうです。もう一つ全幼研で初めて知った事は認定子ども園の先生は「保育教諭」と呼び幼稚園の「教諭」と区別されていることでした。

 このように日本の幼児教育は世界の流れと肩を並べ「国家戦力」としてはいますがどうも「子どものより良い成長」というポリシーが抜けているようで「子どもは国が預かるので安心して職場に就労を…」などと。母親の育児の中で母と子と共に育む愛の芽ばえのチャンスを奪っています。母親がお腹に赤ちゃんが宿った時よりお腹をなでては「元気な赤ちゃんで無事生まれてね」と願いながら胎児の元気な育ちの為に好きな嗜好品もやめる…。などそんな自然な姿勢が胎児も安心してスクスクと育ちます。

 又、産まれた赤ちゃんを育児する姿は常に赤ちゃんの健やかな育ちを願うので滋養のあるおっぱいが出るように母親の食べ物にも変化が見られその願いのこもった母乳を飲む赤ちゃんの安らかな顔を見ては「おかあさんのオッパイはおいしいよ!いっぱい飲んでねー」など愛ある言葉を話しかけておられるでしょう。育児にかかっている時は常に我が子がまんなかで、子どもの健やかな願いばかりを思っている言動は全て赤ちゃんの血となり肉となります。お母さんのその安定してゆったりとした姿が愛も互いに育み合うのです。

 赤ちゃんのみならず幼児期まではスキンシップが大切でお母さんの子を思う心は愛となります。その愛情は膚(はだ)で体感して感じて行くものです。文字や理論で表現できるものではありません。これを仏教では「慈悲」という仏の大きな力を体感しました。体感した「慈悲(愛)」は集団生活の中で悔しい思い、悲しい思い、辛い思いなど他者を知る為の体感をいっぱい経て社会性の発芽とそれを覚らせてくれた仲間を大切にする人の情(こころ)が育ちます。こんなストレートに自分を出す人たちの集団に飛び込める勇気はお母さんの「慈悲心」を体感できたからこそ…。

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