園 長 と 語 ろ う

平成28年5月


 新入園児が少ないせいか、泣いてバスから降りて来る子も初登園日には数人で翌日は随分と減り担任やフリーの先生、ボランティアのお母さんとのマンツーマンで寄り添ってもらったり、抱っこや負んぶしてもらったおかげで一週間も経たないうちに泣く子はお母さんと離れる一瞬だけとなりました。子ども達は安定すると寄り所としていた抱っこや負んぶから離れて周りの子ども達の遊びを真似しだします。でもまだまだ寄り所とする大人が側に居ないと安心して遊べないのです。一週間から二週間もするともう担任一人で大丈夫。でも担任は十数人の子ども達が幼稚園の至る所に楽しそうと思える物に好奇心を抱くのでクモの子を散らした状態。年中や年長の子どもが力不足で無理と思えるものには「まだしろさんには無理やし、離れて見てて…」と注意しながらやっと出来るようになったハイテクニックの技を披露してくれます。この憧れや羨望の眼で見つめるのが幼児の学習の始まりです。握力をはじめ運動的な筋力やセンスが付くのは進級する頃からでしょうか。それまではときどき熱い視線を送りにやってはきますが、自分の手に負える水遊びや砂場遊び、固定遊具も可動しないジャングルジムとか雲梯、虫探しや毛虫退治(子ども達がママゴト材料として葉っぱや熟さない青い実など口にすることもあるので害虫駆除の消毒は一切していないので…)可動するブランコも座って大人におしてもらったり、これも年中や年長のお兄ちゃんお姉ちゃんは手加減が絶妙でけっして恐怖心を抱くようなことはしません。

ゴールデンウィーク明けの頃からクモの子は傍若無人に振舞い自己中心で周りの子ども達の様子は“楽しそう・面白そう”と興味ばかりそそられます。でもその瞬間その遊びに加わっています。先に遊んでいた人にとっては闖入者(ちんにゅうしゃ)が傍若無人に遊ぶので驚き担任に泣きつく子も居れば、応酬する子も居ます。取り返す子や押して転ばす子、私の遊んでいたものを取り上げられた悪い手に噛み付く子、引っかいて応酬する子、喧騒の毎日が続くのですがその姿を見守る保育を始めて30余年が過ぎようとしてここ何年か前より私は、三歳の頃、自己中心で周りの様子が目に入らない(時と場をわきまえる事ができない)事が生涯でもっとも大切な社会性の芽を自分で出す時期で、幼稚園で起こる毎日の出来事は全て子どもの成長に必然な事であると信じてやれるようになりました。

新入園児の三歳児は今なんとなくお母さんと自分は違う人格(人)と気付きつつあります。それは二歳の頃お母さん=私と思っているのでお母さんのする事は何でもできます。できる筈…。買い物をお母さんと行き、家に帰ればお母さんにドアのキーをもらって自分で開けようとしますし、お母さんのお友達がこられるとコーヒーや紅茶を入れたりとお母さんがいつもする事を憶(おぼ)えているのですが技術が伴わないものでテーブルの上がビチャビチャ。「お母さんがするし、手出さんといて…」と叱られました。何回もお母さんを怒らす事が続きお母さんが叱る…という今迄全て受け入れてくれた事が一変して「うっとうしい」という存在になったのです。これが母子分離のメカニズムでその道筋で第一反抗期を迎えながら幼稚園に入園して来ました。(叱ってやってください)「何でもできる幼稚園」と教わってきているのでハチャメチャな事をします。大泣きしても隣でおもしろそうな事があると泣き止んで、その遊びの輪に入り込める…というこの時期は辛いことや悲しいこと、悔しいことなどはすぐ忘れられ楽しいことへと変えていける。生きる力が旺盛なので、だからこそ辛いことや悔しいこと悲しいことを経験できるようになっています。その結果「Aちゃんはすぐたたかはる」とか「Bちゃんはすぐ泣かはる…」とAちゃんBちゃんの固有名詞がお母さんに知らせるようになると本人を加えると3人集まりました。社会の最小単位です。涙を流して自分で社会性を芽ばえさせたので他人の存在を認知したのです。今、幼稚園でも保育園でも「みんな仲良く…」トラブルを止めてしまいます。これがあると他人の存在を知らないまま大人になる人が増えてきます。母も含めた幼児期にこれを言葉で教えようとしても決して教えられません。みんな自分で気付けている。だからこそ逞しいのです。


このウィンドウを閉じる