園 長 と 語 ろ う

平成29年3月

―福祉と自立―

 以前地域行政による社会福祉の恩恵を受けている年長児が小学進学を決意する三学期になって市町村の適正就学に提出した書類にむらさきも地域行政も地域の小学校で健常児と共に統合教育を受けられる事を勧めていました。学ぼうとする意欲や友達を求める力もあるので健常児と互いに刺激し合え、共に成長し合える事を願って私達はお母さんに「Aちゃんは地域の小学校で学ばれる事をお勧めします」と申しました。

 ところが担任を含め地域行政の担当者も大変残念に思う結果になりました。小学校から高校まである府の支援学校に進学しました。お母さんも支援学校の卒業生で子どもが自分と同じ学校ということでご安心なのでしょう・・・と行政の担当者が申される支援学校へ入学すると同時に弟が三歳児学級に入園して来たのです。この兄弟が幼稚園に在園してた頃隣の区に移転したポニーの学校(就学前の障害を持つ子どもの通園施設)に週一回併学していて通常は園バス通園だけれども二歳の弟を連れて週一回兄を園まで迎えそれからポニーの学校へ通学する・・・という事や園の参観日や懇談など来園される時は弟を連れてこられるので職員も馴染みになり、兄と同じように声かけをしていました。

 そんな事もあり弟の入園は当然視していたのですが卒園する頃の弟の進学には兄のように自立するという確信が持てないのを憶えています。今も残念に思えるのは兄は幼児期二人以上の心の通じ合う友があり本人を入れると最小ではあるが立派な社会を形成するという人間として生きてゆく社会性を自分達で築いていたので逞しささえ感じる事ができました。

 卒園児のお母さんでご主人は高校の教師という事もあり多種多様なボランティア活動をされ、商工会の手伝いでは払い下げのウィスキー古樽(黒い樫)でプランターを制作し街を花一杯で飾るというもので市民(むらさきの保護者や勝因も楽しみました)参加によるコンクールを催したり福祉のボランティアもしている事からこの兄の残念で悔しい・・・といった話をしていると「エンチョそれはなー、福祉のお金は行政から出て、支援するお金は市民の税金で現場の役人は予算通りに事業を実行する事に邁進(まいしん)するので親が得た支援は既得権の用に思いその主張を覆す努力はできひんねー」と言われ、我々人間は公務員であれ、富裕層であれ、教師であれ、みんな弱い心があって「福祉の支援を頂かなくともなんとか自立して生きてみます・・・」とは言い切れないものなのだと痛感しました。金に変えられない経験を子どもが得る・・・と言うのに。

 少子化が進むにつれ“日本の肝っ玉母さん”なんて呼ばれた太っ腹なお母さんを賞賛した言葉は死語になってしまったのでしょうか。何かにつけて心配でしかたがない・・・そのお母さんの心配顔が子どもに移り、楽しそう面白そうと思う好奇心も萎縮して健康優良児・・・なんて顔は一度も見せることなくどこか病んでいるのではと思わせます。

 世界中の幼児が社会生活を送る為に通らねばならない道筋で誰であっても他人が代わって体験することはありません。もし代わっても体験した人が乗り越えるのであって、本人は蚊帳の外です。天災や人災(政権争いで避難民になる・・・など)は本人では抗いきれませんので。保護者はもちろん大人のみんなが護らねばなりませんが・・・。

 幼児期は人間らしく生きる術の全ての芽を発芽させます。最も自然の恵みで大きな力は自己中心で周囲が見えない三歳の頃、知的好奇心が起こると同時にその輪の中に入り、ブーイングなんて目にも耳にも入りません。幼稚園では一学期の終わり頃あっちでもこっちでもトラブルばかり。Aちゃんは叩く人、Bちゃんは泣かす人・・・など自分を悲しませるA・Bちゃんの二人の名前を特徴として認知したのです。自分でも身体を張って・・・。そこに自分を入れると最小単位の立派な社会です。他人の存在を知るとA・Bに相対する自己を確立できるのです。親の心配はいつも泣かされる・・・とかいつも悲しい、悔しい思いばかりする・・・という心配があると知的好奇心を発揮する事すらできません(心配=「こころくばり」と訓読してこころくばりしてほしいのですが)。これを過保護と申して先の福祉となり、自己の確立は「自立」そのものです。


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